日露平和条約、北方領土返還の棚上げ

【返還の棚上げ】

 

私が気になるニュース。

 

日露間で平和条約を締結した後に、「北方領土」の2島の返還が期待されていた。

 

これの背景には、日本がロシアに対しての経済的な支援などの期待も込められていたと思う。そこで、北海道ーサハリン間のピザなしの撤廃などが関連してくる。

 

【引用】

ロシアのラブロフ外相が31日の日露外相会談後、「(日露の)国境画定の問題は平和条約の締結後に検討する」と発言し、北方領土問題の解決を棚上げする姿勢を鮮明にした。日本政府は「北方四島の帰属問題を解決して平和条約を結ぶ」としてきた。「平和条約」をめぐる双方の立場は正反対で、安倍晋三首相が目指してきた早期の条約締結は難しい情勢だ。

安倍首相は昨年11月、プーチン露大統領との間で、日ソ共同宣言(1956年)に基づいて平和条約締結交渉を加速させると合意。日本側は、同宣言が言及している色丹島と歯舞群島の返還に向けた協議が進むと期待した。

ラブロフ氏は、日ソ共同宣言には、「平和条約の締結後」に2島を引き渡すことが記されていると強調。同氏はさらに、共同宣言では2島引き渡しが「ソ連の善意」として扱われており、「宣言に署名した時点で双方は(北方領土を)ソ連領とみなしていた」との主張も持ち出した。

 

 

ラブロフ氏は、北海道-サハリン(樺太)間のビザ(査証)撤廃が優先課題だとも主張。日米安全保障条約が平和条約交渉の障害になっているとし、日本側に改めて揺さぶりをかけた。

 

参考: https://www.sankei.com/world/news/190531/wor1905310020-n1.html

 

【通訳の壁】

詳しくは知りませんが、安倍首相とプーチン大統領の間で、「とりあえず、平和条約を締結し、2島返還しよう」という会談があったようだ。2島返還後に、親密さを築いて、話し合いで「更に2島返還」という流れもみられていた。

 

情報筋の方によると、通訳の壁で「言語による違い」が生じた、というのを聞いた。そのため、2島返還の準備はあったが、棚卸しとなり消えた。

 

【個人意見】

領土の問題というのは難しい。

仮に、先に2島返還後に、残り2島が開発が行なわれると、税収などの経済的な内容に関連してくる。日本の国なら、日本に税収が入るが、ロシアならロシアに税が入ります。

 

もうひとつは、戦後60年以上経って、これが返還されないまま、100ー200年と経過すると風化する。今現在は、歴史的な認識を持つ方が残っているが、後40年もすると消えていくこともあります。

そして、現在住んでいる方が、100-200年後に、4島の返還されたとしたら、疑問を生じます。「私たちは100年も住んでいるのに、なぜロシアから日本国になるの?」ということです。

 

では、「2島の返還をする」という場合、2島は諦めなくてはならない状態となる。元々の固有の領土という主張、日ソ共同宣言を覆(くつがえ)す主張と難しい。この覆す主張は、韓国の「微工用問題」「慰安婦問題」と似てくる。

 

結論としては、戦略的優位を保つしかないだろう。と、私は答えを出す。よく「戦争か対話か」以外の方法論も模索するべきだ。

 

2019.6.3

 

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