福祉社会について考える(改)

「福祉」について考えた。しかし、それを言葉にしてブログに公開するのは止めた。

なんというのか複雑で書いていると、結果的に何をまとめると良いのか不明瞭になる。介護保険制度の中で、「介護福祉(介護サービス)」「介護医療、老人医療」と分かれているが、大人としての意見が出せずにいる為だ。

そういった問題を頭に浮かべながら、介護から医療問題と移り、医療問題から自身や周辺の課題と被(かぶ)る。

 

一体、それらを考えたからといって、自身の職業でもないし、直接は関係ない。しかしながら、資料を調べていると、利用者負担率等の現実的な数字も見えてきます。

国民健康保険のうちで、介護保険という部類があるのか、1日施設に高齢者を入居させると7,220円掛かるらしい。そういった計算できる数値が表面上に浮かび上がる。

やっぱり、中間層の庶民が苦しい状態となるのが判る。そして、なんというか、歩けない状態や筋力の無くなった場合が辛い。杖を使いながらでも、自立して歩けることが優先であると感じた。

また、公費を利用して生きていくことも可能だが、身辺調査やプライバシーに制限が増える。さらに、生存権の保障の観点などを浮かべると、心細くなります。

しかし、とりわけ面白いのが、デンマークの社会学者アンデルセンが提起した福祉レジーム論というのがあります。

福祉国家の研究を推測したもので、日本は大陸型ヨーロッパに似ていて、イデオロギーがコーポラティズム(協調を重視する)なところ。福祉先進国のスウェーデンとは多少異なる。

それは、高齢や病気で仕事ができなくなった人を指数で推測して、研究し分析している。大きく社会の体制を分類していくと3つある。

違いのひとつを挙げてみると、社会の構成する触媒(要因)として、スウェーデン型は労働組合であるのに対して、ヨーロッパ大陸型は宗教団体になる。

もう少し話すと、主となる福祉社会の供給源が「政府・家族・市場」と異なっていて、日本は家族から支える形の福祉となっている。

 

2018.10.12

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です