心地よい閃光と都市空間

日が沈んで暗くなった都心を歩くのは、本当に久しぶりに思う。少し時間を持て余して、「夜の池袋」を通る。どこも東京都は同じだが、テナントの数が1割は減っている。つまり、去年はあった店が、空き店舗となっています。

 

新宿のツタヤ(TUTAYA)も11月に閉店するようだし、見慣れたゲームセンターやコンビニも「ガラス張りの空っぽ」の空間だ。

 

そんな中、池袋の街を通ると、年々と変化していて、ネオンの明かりがとても綺麗な場所が増えた。その、一般的にはどうでもよい明りが、蝋燭(ロウソク)を沢山並べたような鮮やかさになっている。

 

若い頃にある楽しい思いを描きながら、街を歩いた。そして、今の都心もよく見ると、所々に穴が開いているチーズのような面白い町並みだ。

 

ただ、都心というのは「人生」を小さくしたスケールに収めたような部分がある。それは、知らないと、トイレの場所も不便だし、お金が無いと、座るところさえ苦労します。

 

そう思いながら、地響きの鳴るような1階のマンションが目に付き、それを見てみる。住むには通行人が多かったり、ゴミを捨てられたり、難点が多い場所だ。いろいろあるなと、思いながら、私は歩く。すると、「居場所がある」というだけで、十分満足していかなければならないのかもしれない、そう感じたのだ。

 

これは都心の「光と影」の側面を見ていたように思えた。

 

カムチャッカの若者が きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする

 

朝のリレーより

 

 

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