週刊ジャンプ、月9ドラマ
コミニケーションにおいて会話は重要だ。昔の話になりますが、「昔は何を話しただろう?」と考えた。週刊ジャンプやテレビドラマの話題が豊富にあった時代で、月曜日から金曜日までリアルタイムに異なった内容の会話ができた。
こういうのって、今もあるのかもしれない。ただ、私の中ではインターネットが主流で、いわばアナログの世界は遠のいた。
なんの変哲もない漫画だ。だけれど、月曜日にジャンプが出版されて、仮にドラゴンボールやブリーチの話をする。稀に見逃したり、それは読んでない等のこともあるが、情報を共有して楽しめる流れがあった。
だから、毎日会うという生活スタイルの中でも、月曜日はジャンプ、水曜日はサンデー、木曜日はドラマの話題と変化をもたらしていた。
これが大人社会の場合は、経済の話やニュースに移転するが、天気の話が多くあったように思う。無難なテーマの天気の話がちょうど良い会話となっている。私の場合、そのほかでは、食事の話がある。馴染みのあるレストランで、旬の野菜を用いた料理がでていたら、美味しかったなどの話題を指した。この場合は、同じ職場の方が、たまたま同じエリアのレストランや料理店に足を運ぶことがあるから出る話題だ。
当然、娯楽の話である漫画やドラマと比べて、日常的なものである為、ワンランク下がる。このあたりが社会は詰らないと云われる点なのかもしれない。
また、中高生の頃には、漫画を読んで、家庭用ゲーム機のスーパーファミコンで遊んだり、または、当時はテレビでビデオ録画したものを閲覧して時間を過ごした。
その後には、小説を読む。そして、成長していき、ドライブや海外旅行へと世界が広がる。
このように、かつて行なってきたことは、現在あまり興味を持たなくなる。懐かしさを思い出すことがあるが、新しい楽しみやステータスに興味があって、その次といった順序になる。
昔を懐かしむ気持ちよりも、今の時代のアナログ的なバイオリズムが足りない。だからと云って、中高年になっても、自宅でテレビを観てるだけでは進歩も何もない。経済的にはマイナス要素になるが、アパートを借りて自立していくことには大きな意味があるし、逆にできないと、根本的な価値すらない。
海外旅行なんかも同様ですが、老人になっても、出来るといえば出来るが、老人になる前に、歩き回ったりする方が楽しいだろう。
曖昧な日常の性質の中でも、厳選したりしながら変化を作っていこう、そんな風に思う。
2019.11.6