3連休は我慢の日になる
【 我慢 】
先週末は、いろいろと行きたい所もあった。しかし、コロナ渦が次第に増す。また、特に東京都内でも風邪のような咳をしている方が目立つ、そう私は感じた。
外出は控えて、「我慢の連休」となる。
そこで、私が感じたのは、「コロナにかかり重症化することも避けるべき」だが、もしかすると、抗体があって、それで「人に感染させてしまうこと」も同時に無くそうと思った。
連休最後の日に、地震があった。それも我慢して待ち過ごすしかない。久々に、建物が揺れた感覚があった。
【先のこと、将来予測】
ひとつは、「無職」であって、それをどうやって生きていくかの方法。おぼろげに、頭の中で、「こうでもない、ああでもない」と、ループしている。
たとえば、株を始めるとして、論理的推察をする。そこで、もちろん株価のチャートの変動があります。これを主として生活の中に取り入れると、一日中を「ただ画面を眺める」といった時間が占める。
なにか似ているぞ
この図式というか、似た雰囲気でパチンコのプレイが重なります。当然、株は「投資」であって異なる点は多いでしょう。
競馬では、シーズンの区切りで、強制的に成果が問われていく。だけれど、継続的に終わりのシナリオが無いのは、勝てるチャンスが常にあるのと同時に、区切り(ポジション)も重要になります。
そこでリスク分散なども考えていく・・・。
たとえば、数人で資金を出して、その4年後ぐらいに確実に成果の出せる利益で「事業」を始める。そんな形が良さそうだと思うが、景気の先行きは、緩やかな下り坂のように思えます。
デフレ時代に、何を行なっても「景気の影響」の大きさで無意味になることを体験しています。
また、最近感じたのは、相手が信用の置ける者だとしても、死亡するケースも考えられる。共同作業のリスクとしては大きいところでしょう。
ループ
必要なもの、必要なこと、たまにあるお祝いのようなイベント。そういったことにだけ集中してみよう。細々としても、祝いのようなPS5というゲーム機を購入したりするが、月々は節約する。
そうしていくと、目安として、「必要なもの」「必要なお金」が推察できます。つまり、それに見合った収入だけを考えると楽になります。
再設計
なかなか想定として、美味い具合に形となってくる。
【孤独感】
別な次元の話になります。人間が成長して生きていると「孤独」を感じる方が多くいるようです。本当に、偶然で話をしていたら、「孤独だった」という。
この孤独についても、少々深く、考えたが、『最終的に「孤独」は問題ではない。』、そう結論付ける。ただ、孤独な時間を無駄にしているのがマイナスではある。
ただ、人間の出発地点は異なる。そのため、回避できない状況も生まれたりします。逆に、恵まれた環境であると、孤独である以上に「愛」というものや優しさを与えられていきます。
失った過去の経緯は取り戻せないが、「愛」「優しさ」「賑やかさ」「信頼」のようなもので、補う機会はあります。
孤独論を語ると、価値観は人の数だけ存在するのと同じで、大きく異なるでしょう。