Archive for : 12月, 2019

令和元年の最後のご挨拶

ご閲覧ありがとうございます。

 

令和元年も短い歳で、数ヶ月と考えると貴重な時間だった。西暦も2020年に向かうのがとても嬉しい。「2020年宇宙の旅」という映画があったが、宇宙旅行について調べたりしています。その宇宙旅行の費用も個人で捻出できるレベルになってきた。

 

宇宙旅行と言っても、飛行機の延長上のタイプのようで、大気圏上空を短く飛行するようだ。

 

大晦日ということで、年末の話題としては、「今年も生き延びたね」と知人と話していたりする。私は「まぁ、生き延びたのかな?」と思う。しかしながら、あまりポジティブなことは思わない。なんというか、もう月日が過ぎた、と言った程度でしょう。

 

年賀状を書いて、年越しそばを食べて、予定通りの流れです。

 

日常では、「手作りチャーシュー」を作ったのをキッカケで、豚骨からラーメンを作ったり料理を楽しむ。さらには、余っていた赤ワインを消化しようと呑んでみると、これが美味しく感じられて、ワインとチーズにハマる。こってみると、安いものでも美味しい食品がある。

 

頭を悩ませる収入的な要素も、別の方向性へとシフトしている。

 

年末という時期なのか、都心を歩いていると、旅行者と思われる外国人がいた。はじめ、声をかけられると、英語でネットカフェを探しているようだった。次に、その宿泊費用を聞いていた。最後に、私はお腹が空いています、と悲しげに言っていた。

 

旅行者にしても、一時的な労働者にしても、哀れなものだ。

 

彼が、どうなった予測すると、恐らく「横の繋がり」で、どうにかして行くのだろう、と推測した。それにしても、考え無しで生きていくのは愚かなものだ。外国人の旅行者の問題も感じるが、「明日の予定が判らない」という生活は若い時期であったり、バックボーンの裏づけがある人のみのものだと思う。

 

これもこの時に少し私は考えた。

 

愚かな人というのでなく、愚かな環境下であるのだろう。そして、危機的状況なのかという判断力が問われるところです。

 

そういえば、「School Days (スクールディズ)」というアニメを観た。日暮(ひぐらし)に似ている印象を受ける作品。主人公の誠(まこと)が恋愛をしていくが、その様子が変化する恐ろしさを描いたストーリーに感じられた。日常的な恋愛も同様なのですが、少しずつ欲望や願望に負けて、おかしな方向へと向かう。

 

それは恋愛感情や好奇心から、間違った道への結末を迎える。

 

12月31日の今私は、年越し蕎麦(そば)を食べて、家で寛(くつろ)いでいる。何年も生きていると、風習化している「年末の過ごし方」もある。今年も生き延びて、来年は判らないが、たぶん大丈夫だろう。

 

何かに「感謝」するのも大切だったりするだろうし、また「個人の正しい考え方」にも救われる。令和元年もバタバタとして終わりを迎える。

 

今年は今年で、宵ではないか、そう感じながら、来年の楽しみを考えましょう。そこはかとなく、問題の無い年末年始を歓迎しようと思う。

 

2019.12.31

僕たちの行方

僕たちは迷いながら
たどり着く場所を探し続け
哀しくて涙流しても
いつか輝きに変えて…

 

閉ざした過去が今
胸を揺さぶるから
求める程遠く 置き去りの心
僕らは生きる程 何かを失って
それでも明日への夢を
捨てたくない
悲しみの理由でさえも
強く抱きしめていたい
通り過ぎた季節の
その先に何があるのだろう

 

僕たちは迷いながら
たどり着く場所を探し続け
哀しくても涙流しても
いつか輝きに変えて

 

“Cause I’m Never Gonna Stop
Streakin” My Dream

 

【ガンダム SEED Destiny】

 

主題歌の歌詞で「僕たちの行方(ゆくえ)」を聴いた。2004~2005年の作品で、私の中では新しいが、もう14年も前のものだ。初代のガンダムの良さが好きで、当時は「何だ、このシリーズ」と感じたのが第一印象。

 

ただし、今思うと成功している。過去の継承を覆(くつがえ)す、革新的な発想で新しく構成されている。

 

【継承し変革する】

 

この時、日常の考え方のヒントを得た気がします。古いものを永遠に存続させていくのも重要ですが、新しくするのも魅力があります。それが進歩、進化、発展となるように、前に進むことに繋がる。

 

【進歩と衰退】

 

魚の話になりますが、「水槽の中でメダカを飼う」。そのメダカは、やがて増えていくが、最終的には全滅して「水槽から消えていく」。

 

閉鎖された生態系の中では同様に同じことが起きていく。

 

たとえば、情報化社会のブログサービスにおいても似ていることがある。初めは新しいサービスが受け入れられる、やがて、それらが共有化して、どれを取っても類似した内容に変化している。水槽のメダカが全滅するのと同様で、これらも「薄い価値の無いモノ」に変わる。

 

これは「競争排除の法則」とも思えるもの。

 

同じ群集においては、安定して共存できないために消滅していく。複数の種が同所的に存在すると、競争により一方が排除されていくので、環境的要因で安定的ではない。

 

情報化社会のテーマに戻すと、こういった法則で「ブログ・ツイッターがダメになっていく」と思われる。ですから、人のモノマネはNGという理屈が発生してきます。

 

【競争排除の法則】

 

理屈的にいうと、これらがイジメや差別、宗教の違いによる原理原則のひとつと推測されます。難しいところですが、「みんな同じではダメ」といわれる所以(ゆえん)です。

 

みんな同じだと衰退して消滅するし、複数の異なるものが同所的に存在すると排除される。では、「どうすれば良いの?」と思われるが、こういったときに、モノゴトの本質を考える力が必要になってきます。

 

そのモノゴトの本質を悟りえないと、同じ事を繰り返す。その繰り返しが「時間の無駄」になって、その存在は消えていく。

 

【2020年】

 

そこで考えていくと、ガンダムではないが、革新的に変えていく「機会」として時期的によろしい感じです。ブログや日常の生活の糧も含めて、見直していこうと考える。

 

Let’s Go 2020!!

 

私だけが到達できる未来がある。

 

 

2019.12.18