令和元年の最後のご挨拶
ご閲覧ありがとうございます。
令和元年も短い歳で、数ヶ月と考えると貴重な時間だった。西暦も2020年に向かうのがとても嬉しい。「2020年宇宙の旅」という映画があったが、宇宙旅行について調べたりしています。その宇宙旅行の費用も個人で捻出できるレベルになってきた。
宇宙旅行と言っても、飛行機の延長上のタイプのようで、大気圏上空を短く飛行するようだ。
大晦日ということで、年末の話題としては、「今年も生き延びたね」と知人と話していたりする。私は「まぁ、生き延びたのかな?」と思う。しかしながら、あまりポジティブなことは思わない。なんというか、もう月日が過ぎた、と言った程度でしょう。
年賀状を書いて、年越しそばを食べて、予定通りの流れです。
日常では、「手作りチャーシュー」を作ったのをキッカケで、豚骨からラーメンを作ったり料理を楽しむ。さらには、余っていた赤ワインを消化しようと呑んでみると、これが美味しく感じられて、ワインとチーズにハマる。こってみると、安いものでも美味しい食品がある。
頭を悩ませる収入的な要素も、別の方向性へとシフトしている。
年末という時期なのか、都心を歩いていると、旅行者と思われる外国人がいた。はじめ、声をかけられると、英語でネットカフェを探しているようだった。次に、その宿泊費用を聞いていた。最後に、私はお腹が空いています、と悲しげに言っていた。
旅行者にしても、一時的な労働者にしても、哀れなものだ。
彼が、どうなった予測すると、恐らく「横の繋がり」で、どうにかして行くのだろう、と推測した。それにしても、考え無しで生きていくのは愚かなものだ。外国人の旅行者の問題も感じるが、「明日の予定が判らない」という生活は若い時期であったり、バックボーンの裏づけがある人のみのものだと思う。
これもこの時に少し私は考えた。
愚かな人というのでなく、愚かな環境下であるのだろう。そして、危機的状況なのかという判断力が問われるところです。
そういえば、「School Days (スクールディズ)」というアニメを観た。日暮(ひぐらし)に似ている印象を受ける作品。主人公の誠(まこと)が恋愛をしていくが、その様子が変化する恐ろしさを描いたストーリーに感じられた。日常的な恋愛も同様なのですが、少しずつ欲望や願望に負けて、おかしな方向へと向かう。
それは恋愛感情や好奇心から、間違った道への結末を迎える。
12月31日の今私は、年越し蕎麦(そば)を食べて、家で寛(くつろ)いでいる。何年も生きていると、風習化している「年末の過ごし方」もある。今年も生き延びて、来年は判らないが、たぶん大丈夫だろう。
何かに「感謝」するのも大切だったりするだろうし、また「個人の正しい考え方」にも救われる。令和元年もバタバタとして終わりを迎える。
今年は今年で、宵ではないか、そう感じながら、来年の楽しみを考えましょう。そこはかとなく、問題の無い年末年始を歓迎しようと思う。
2019.12.31