ミケランジェロ・ブオナローティ
私は深夜の楽しみで、映画を観ることがあります。数週間前に、洋画「LOSTシーズン2」を見終える。そこで現在は、「LOSTシーズン1」へと遡(さかのぼ)る。
その物語の中心的人物、ジョン・ロックが会話の中で比喩をする。映画のシチュエーション(場面)としては、森を彷徨(さまよ)うとハッチを見つける。
そこで、その地面に埋まっているハッチを、どのように開けるかを考えている。ブーンという青年と伴に模索するが、島に取り残された他の連中には内緒だ。
数日間、森でイノシシを捕るフリをしながら、ハッチに出向く。しかし、ロックは、ただハッチの前で見ているだけだ。
そこでブーン青年が何をしているのかを尋ねると、「ミケランジェロ」を例える。
ミケランジェロは、幼年期にセッティニヤーノの石切り職人に預けられ育てられる。しかし、親は「手を使う自分と同じ作業を子にさせたくなく」、石切をさせない、という。
4ヶ月、ミケランジェロは石を眺めていて、他の誰かが何をしているかを尋ねると「仕事をしています」と述べた。
いずれにせよ、ミケランジェロは石を削り作品を完成させる。
確か、ミケランジェロは、時の教皇ユリウス2世に対して反骨精神という国政に対して抵抗する気質があったようにも思える。
映画「LOST」のシーンで、少し前のエピソードにて、森に蛾(が)の繭(まゆ)があった。
ロックが「蛾(が)の繭(まゆ)を私たちが開けることで羽ばたくことができる」、そして、続いて言う「しかし、蛾は繭の中でもがくことで生き延びる」。
それは蝶や蛾も自身で必死に生きることで成長している。すなわち、他人に手助けを受けると、逆に短命に終わる。
私は美術館で「ミケランジェロと理想の身体」という展示に興味を持っていると、偶然見た映画の中で彼の名が出た。
なんていうのか、昔の人も「自分の体」について考えて、今も昔も変わらない道のりというのがある、と思った。
2018.10.6