日本三大ドヤ街(寿町、西成、山谷)
(上:都電、三ノ輪駅を出た付近)
【はじめに】
日本には、1960年代から「高度成長期」と呼ばれる好景気があった。その別の一面として「ドヤ街」が現れる。
それは、「寄せ場」という日雇いで仕事を斡旋する主導者が存在していた。そこに日雇い労働者が集まり、自然と寝泊りする簡易宿所が周辺に多く開設される。これが「ドヤ街」が形成された始まりだ。
有名なのが、東京の山谷、大阪の西成、横浜の寿町。その他、上野駅周辺にも多くいた。
それは、「炭坑ブーム」の終わりの後にやってきた、建設ラッシュによる需要だったと思う。高い構想ビルを建設するのに、その地盤を整地したり、単純な作業から鳶(トビ)のように熟練された内容まで肉体労働としての職業は多数だ。
それと類似して、東京オリンピックを契機として「交通網の整備」が進められたことも、日雇い労働者が必要になった。その後、雇用問題回復には、道路の建設が不可欠という図式が出来上がる。
この辺りの時代には、朝方に寄せ場に巡回する班長のような方が人員募集を促(うな)がす。しかし、バブル崩壊には激減する。そうは言っても、2000年前ぐらいまでは、上野・新宿・渋谷と都心の駅付近に、日雇いを誘う人員募集者が、頻繁に顔を見せていた。
更には、いろいろな問題点として、「給与のピン跳ね問題」「労働基準法違反」等、社会問題としてあった。
そして、当時は簡易宿所に、肉体労働者を中心とした人々が多く寝泊りをすることで賑わうエリアがあった。私の記憶では、1泊1380円~1980円で泊まれる場所が数ヶ所あった。設備としては、カラーテレビ&シャワー有りのようなもの。
宿泊施設のスペースは3畳未満が一般で、布団を広げる空間程度。4.5~6畳は大きい。それに加えて、人によっては宿泊施設を借りて寝ることができれば不足が無く、場合により路上で寝泊りするものさえ多くいた時代もある。
その後、ゲストハウスのドミトリー形式(2段ベット)のような宿泊施設もあったという。噂では、遥か昔には、大部屋で雑魚寝する行商人や旅芸人がいたとも聞く。
【 山谷(さんや)探索 】
2・3年前までは、形を変えて外国人観光客をターゲットとしたユースホテルのような形態が何箇所かあった。
私が、今回足を運んでみると、その宿泊施設の激減に驚く。もし宿泊を期待するのならば、事前にインターネット検索で調べないとたどり着けないだろう。
探索を兼ねてみつけたのは、3つで価格帯は1泊1200円・2000円・2980円というもの。2980円はユースホテルという感じだった。
また、教会などで「炊き出し」という食事を与えてくれるライフラインも減っている。以前は、張り紙があったのを覚えている。結果、もう既に貧困者や労働者が住む街という認識が少なくなっている。
そして、様子を伺い探索してみても「アルミ缶集め」「ダンボール集め」の副収入の方々すら見かけられなかった。
【 浅草へ 】
個人的には差ほど興味のない「ドヤ街」。有名な風俗街である「千束」を通り、浅草へ行きます。途中、根岸神社と思われる場所に差し掛かる。
浅草へ行くと、やはり「食」の美味しそうな店舗が目立つ。アルコールをちょい飲みして今回は帰宅しました。
感想として、東京スカイツリーという名所が開発された段階で、東京の影の部分も激減されたイメージもあります。
【 画像 】
(上:都電、三ノ輪駅を出た付近 その2)
(上:旅館 その1)
(上:旅館 その2)
(上:下町人間庶民会館??)
(上:見返り柳 その1)
(上:見返り柳 その2)
(上:教会)
(上:銭湯)
(上:ユースホテル)
(上:根岸神社)
(上:浅草 その1)
(上:浅草 その2)
【その他】
晴れの日には、観光や登山をするので、天候が悪い日に「横浜の寿町」も行ってみたいと思う。
2018.9.28