三国志(6)

岳南の佳人(がくなんのかじん)

いっさんに馳けた玄徳らは、ひとまず私宅に帰って、私信や文書の反故(ほご)などみな焼きすて、その夜のうちに、この地を退去すべくあわただしい身支度にかかった。

官を捨てて野に去ろうとなると、これは張飛も大賛成で、わずかの手兵や召使いを集め、
「ご主人には今度、にわかに、思うことがあって、県の尉(い)たる官職を辞め、しばらく野に下って、悠々自適なさることになった。しかし、実はおれが勅使督郵を半殺しの目にあわせたのが因(もと)だ。ついては、身の落着きの目あてのある者は、家に帰れ。あてのない者は、病人たりとも、捨てては行かぬ。苦楽を共にする気でご主人に従って参れ」と、いい渡した。

貰う物を貰って、自由にどこかへ去る者もあり、どこまでも、玄徳様に従ってと、残る者もあった。

かくて夜に入るのを待ち、手廻りの家財をロバや車に積み、同勢二十人ばかりで、遂に、官地安喜県を後に、闇にまぎれて落ちて行った。

――一方の督郵は。
あの後、間もなく、下吏の者が寄ってきて、役所の中へ抱え入れ、手当を加えたが、五体の傷は火のように痛むし、大熱を発して、幾刻かは、まるで人事不省であった。

だが、やがて少し落着くと、
「県尉の玄徳はどうしたっ」
と、うわ言(ごと)みたいに怒鳴った。

その玄徳は、官の印綬を解いて、あなたの首へかけると、捨てぜりふをいって馳け走りましたが、今宵、一族をつれて夜逃げしてしまったという噂です――と側の者が告げると、
「なに。逃げ落ちたと。――ではあの張飛という奴もか」
「そうです」

「おのれ、このまま、おめおめと無事に、逃がしてなろうか。――つ、つかいを、すぐ急使をやれっ」
「都へですか」

「ばかっ。都へなど、使いを立てていた日には間にあうものか。ここの定州(ていしゅう)の太守へだ」
「はっ。――何としてやりますか」

「玄徳、常に民を虐(ぎゃく)し、こんど勅使の巡察に、その罪状の発覚を恐るるや、かえって勅使に暴行を加え、良民を煽動(せんどう)して乱をたくめど、その事、いちはやく官の知るところとなり、一族をつれて夜にまぎれ、無断官地を捨てて逃げ去る――と」

「はっ。わかりました」
「待て。それだけではいかん。すぐさま、迅兵(じんぺい)をさし向けて、玄徳らを召捕え、都へご檻送(かんそう)くださるべしと、促すのだ」

「心得ました」
早馬は、定州の府へ飛んだ。

定州の太守は、
「すわ、大事」と、勅使の名におそれ、また、督郵の詭弁(きべん)にも、うまく乗せられて、八方へ物見を走らせ、玄徳たちの落ちていった先を探させた。

数日の後。
「何者とも知れず、安喜県のほうから代州(だいしゅう)のほうへ向って、ロバ車(ろしゃ)に家財を積み、十数名の従者をつれ、そのうち三名は、ロバに乗った浪人風の人物で、北へ北へとさして行ったということでありますが」
との報告があった。

「それこそ、玄徳であろう。からめ捕って、都へ差立てろ」
定州の太守の命をうけて、即座に鉄甲の迅兵約二百、ふた手にわかれて、玄徳らの一行を追いかけた。

北へ、北へ、車馬と落ち行く人々の影は急いだ。
幾度か、他州の兵に襲われ、幾度か追手の詭計(きけい)に墜ちかかり、百難をこえ、ようやくにして代州の五台山下までたどりついた。

「張飛。御身の指図で、ここまではやって来たが何か落着く先の目的(めあて)はあるのか。――ここはもう、五台山の麓だが」

関羽もいうし、玄徳も、実は案じていたらしく、
「いったい、これからどこへ落着こうという考えか」と、共々に訊ねた。
「ご安心なさるがよい」

張飛は大のみこみで言った。そして岳麓(がくろく)の平和そうな村へ行き着くと、
「しばらく、ご一同は、その辺に車馬を休めて待っていて下さい」
と、一人でどこへか立ち去ったが、ほどなく立ち帰ってきて、
「劉大人(りゅうたいじん)が承知してくれました。もう大船に乗った気でおいでなさい」
と告げた。

「劉大人とは、どこの何をしておる人物かね」
「この土地の大地主です。まあ大きな郷士といったような家柄と思えばまちがいありません。常に百人や五十人の食客は平気で邸においているんですから、われわれ二十人やそこらの者が厄介になっても、先は平気です。またこの地方の人望家でもありますから、しばらく身をかくまっておいてもらうには、なによりな場所でしょうが」

「それは願ってもないことだが、御身との間がらは、どういう仲なのだ」
「劉大人も、今こそ、こんな田舎にかくれて、岳南の隠士などと気どっていますが、以前は、拙者の旧主鴻家(こうけ)とは血縁もあって、軍糧兵馬の相談役もなされ、何かと、旧主鴻家とは、往来しておったのであります。――その頃、自分も鴻家の一家臣として、ご懇意をねがっていたので、鴻家が滅亡の後も、実は、拙者の飲み代(しろ)だの、遺臣の始末などにも、ずいぶんご厄介になったもので」

「そうか。その上にまた、同勢二十人も、食客をつれこんでは、劉大人も、眉をひそめておいでだろう」
「そんな事はありません。非常に浪人を愛する人ですし、玄徳様のご素姓と、われわれ義軍が、官地を捨てて去ったことなど、つぶさにお話したところ、苦労人ですから、非常によく分ってくれて、二年でも三年でもいるがいいというわけなんで」

張飛の言葉に、
「そういう人物の邸なら身を寄せてもよかろう」
と、玄徳も安心して、彼の案内について行った。

すると、岳麓(がくろく)の疎林(そりん)のほとりに、一廓の宏壮な土塀が見えた。玄徳らを誘(いざな)いながら、張飛が、
「あの邸です。どうです、まるで豪族の家のようでしょう」と、自分の住居ででもあるように誇って云った。

玄徳がふとロバを止めて見ていると、その邸の並びの杏(あんず)の並木道を今、鄙(ひな)には稀(まれ)な麗人が、白馬に乗って通ってゆくのが見えた。美人のロバの後からは、ひとりの童子が、琴を担(にな)って、眠そうに供をして行った。

「はて、どこかで見たような」
玄徳はふとそんな気がした。

遠目ではあったが、妙に印象づけられた。もっとも、殺伐(さつばつ)な戦場生活だの、僻地(へきち)から広野(こうや)を流浪してきた身なので、よけいに、彼方の女性が美しく見えたのかもしれない。

麗人は、すぐ広い土塀に囲まれた、豪家の門のうちへ入ってしまった。
「そこが劉大人の邸だ」
と、たった今、張飛に教えられたばかりなので、さては劉家の息女かなどと、玄徳はひとり想像していた。

ほどなく、玄徳らの一行も、そこの門前に着いた。一同は車を停め、ロバから降りて、埃(ほこり)まみれな旅の姿をかえりみた。
ここの主(あるじ)は浪人を愛し、常に多くの食客を養っているという。どんな人物であろうか、玄徳や関羽は、会わないうちはいろいろに想像された。
けれど、張飛に案内されて、南苑(なんえん)の客館に通ってみると、まったく世の風雲も知らぬげな長閑(のど)けさで、浪人を愛するよりは、むしろ風流を愛すことのはなはだしい気持の逸人ではないかと思われた。

やがてのこと、
「はい、てまえが、当家の主(あるじ)の劉恢(りゅうかい)です。ようお越しなされました。お身の上は最前、張飛どのから聞きましたが、どうぞお気がねなく、一年でも二年でも遊んでいてください。その代りこんな田舎ですから、何もおかまいはできませんよ、豊かにあるのは、酒ぐらいなもので」

こう主の劉恢(りゅうかい)が出てきてのあいさつに、張飛は、
「ありがたい。酒さえあれば何年だっていられますよ」
と、もう贅沢をいう。

玄徳はいんぎんに、
「何分」
と、しばらくの逗留(とうりゅう)を頼み、関羽も姓名や郷地を名乗って、将来の高誼(こうぎ)を仰いだ。

劉大人は、いかにも大人らしい寡言(かげん)な人で、やがて召使いをよび、三名の部屋として、この南苑の客館を提供し、何かの事などいいつけ、ほどなく奥へかくれてしまった。

「どうです、落着くでしょう」
張飛は手がら顔にいう。

「落着きすぎるくらいだ」と、関羽は笑って、
「ぼろを出さぬようにしてくれよ」
と、暗に張飛の酒ぐせをたしなめた。

年を越えた。春になった。
五台山下の部落は、まことに平和なものだった。ここには、劉恢が土豪として、村長(むらおさ)の役目をも兼ねているせいか、悪吏も棲まず、匪賊の害もなかった。
しかし、張飛や関羽は、その余りにも無事なのにむしろ苦しんだ。酒にも平和にも倦(う)んだ。

それとは違って、玄徳は近ごろひどく無口であった。常に物思わしいふうが見える。
「長兄も、この頃はようやく、ふたたび戦野が恋しくなってきているのではないかな。風雲児、とみに元気がないが」

ある時、関羽がいうと、
「いやいや、戦野が恋しいのじゃないさ」
と張飛は首を振った。

「では、郷里の母御のことでも案じておられるのかな?」
「それもあろうが、原因はもっとべつなほうにある。おれはそう覚(さと)っているが、わざと会わせないんだ」

「ふうむ。原因があるのか」
「ある」

苦々(にがにが)しげに張飛はいった。その顔つきで思い出した。近頃、南苑に梨花(りか)が咲いて、夜は春月がそれに霞んでまたなく麗(うるわ)しい。時折その梨苑をさまよう月よりも美しい佳人が見かけられる。そうするといつのまにか、この客館から玄徳のすがたが見えなくなるのだった。

張飛の話を聞いて関羽にも思い当るふしがあった。関羽はそれから特に玄徳の様子に注目していた。

すると、それから数日後の宵であった。その夜は朧月(おぼろづき)が麗しかった。五台山の半身をぼかした夜霞が野にかけ銀を刷(は)いたような朧をひいていた。

「おや、いつのまにか」
気がついて関羽はつぶやいた。三名して食卓を囲んでいたのである。張飛は例によっていつまでも酒をのんでいるし、自分も、杯をもって相手になっていたが、玄徳は室を去ったとみえて、彼の空席の卓には、皿や酒盞(しゅさん)しか残っていない。

「そうだ」
こよいこそ彼の行動をつきとめてみよう。関羽はそう考えたので張飛にも黙って急に部屋から出て行った。

そして南苑の白い梨花の径(こみち)を忍びながら歩いては見まわした。
もう奥の内苑に近い。主の劉恢(りゅうかい)のいる棟やその家族らの住む棟の燈火は林泉をとおして彼方に見えるのであった。

「はて。これから先へゆく筈もないし」
関羽がたたずんでいると、ほど近い木の間を、誰か、楚々(そそ)と通る人があった。見ると、劉恢の姪(めい)とかいうこの家の妙齢な麗人であった。

「……ははあ?」
関羽は自分の予感があたってかえって肌寒い心地がした。物事の裏とか、人の秘密とかには、むしろ面(おもて)を横にして、無関心でいたい彼であったが、つい後から忍んで行った。

劉恢の姪という佳人は、やがて鮮(あざ)やかに月の下に立った。辺りには木蔭もなく物の蔭もなく、ただ広い芝生に夜露が宝石をまいたように光っていた。

すると梨の花の径(こみち)からまたひとりの人影が忽然(こつぜん)と立ち上がった。それは花の中に隠れていた若い男性であった。

「お。玄徳さま」
「芙蓉(ふよう)どの」
ふたりは顔を見あわせてニコと笑み交わした。芙蓉の歯が実に美しかった。

相寄って、
「よく出られましたね」
玄徳がいう。
「ええ」
芙蓉はさしうつ向く。

そして梨畑のほうへ、ふたりは背を擁(よう)し合いながら歩み出して、
「劉恢は、あれでとても、厳格な人ですからね。……食客や豪傑たちには、やさしい温情を示す人ですけれど、家庭の者には、おそろしくやかましい人なんです。……ですから、……、こうして苑(にわ)へ出てくるにも、ずいぶん苦心して来るんですの」

「そうでしょう。何しろ、我々のような食客が常に何十人もいるそうですからね。私も、関羽だの張飛だのという腹心の者が、同じ室にいて、眼を光らしているので、彼らにかくれて出てくるのもなかなか容易ではありません」

「なぜでしょうね」
「何がですか」
「そんなにお互いに苦労しながらでも、夜になると、どうしてもここへ出てきたいのは」
「私もそうです。自分の気もちが不思議でなりません」
「美しい月ですこと」
「夏や秋の冴えた頃よりも、今頃がいいですね。夢みているようで」

梨の花から梨の花の径をさまよって、二人は飽くことを知らぬげであった。夢みようと意識しながら、あえて、夢を追っているふうであった。

この家の深窓(しんそう)の佳人(かじん)と玄徳とが、いつのまにか、春宵(しゅんしょう)の秘語を楽しむ仲になっているのを目撃して、関羽は、非常なおどろきと狼狽(ろうばい)をおぼえた。

「ああ、平和は雄志を蝕(むしば)む」
彼は、慨嘆した。

見まじきものを見たように関羽はあわてて後苑の梨畑から馳け戻ってきた。そして客館の食卓の部屋をのぞくと、張飛はただ一人でまだそこに酒を飲んでいた。

「おい」
「やあ、何処へ行っていたのだ」
「まだ飲んでいるのか」
「飲むよりほかに為すことはないじゃないか。いかに皮肉(ひにく)を嘆じたところで、時利あらず、風雲招かず、蛟龍(こうりょう)も淵に潜(ひそ)んでいるしかない。どうだ、貴公も酒の淵に潜まんか」

「一杯もらおう、実は今、いっぺんに酒が醒めてしまったところだ」
「どうしたのか」
「……張飛」
「うむ」
「おれは、貴様のように、いたずらに現在の世態や時節の来ぬことを、そう悲観はしないつもりだが、今夜はがっかりしてしまった。――野(や)に隠れ淵に潜むとも、いつか蛟龍は風雲を捉(とら)えずにいないと信じていたが」

「ひどく失望の態だな」
「もう一杯くれ」
「めずらしく飲むじゃないか」
「飲んでから話すよ」
「なんだ」
「実は今、おれは、人の秘密を見てしまった」
「秘密を」

「されば。先頃から貴様が謎めいたことをいうので、こよい玄徳様が出て行った後からそっと尾(つ)けて行ってみたのだ。するとどうだろう……ああ、おれは語るに忍びん。あんな柔弱な人物だとは思わなかった」

「なにを見たのだ一体」
「あろうことかあるまいことか。当家の深窓(しんそう)に養われている芙蓉娘(ふようじょう)とかいう麗人と、逢引きをしているではないか。ふたりはいつのまにか恋愛におちておるのだ。われわれ義軍の盟主ともある者が、一女性に心をとらわれなどして何ができよう」

「そのことか」
「貴様は前から知っていたのか」
「うすうすは」
「なぜわしに告げないのだ」
「でも、できてしまっているものは仕方がないからな」

張飛も腐った顔つきしてつぶやいた。その顔を頬杖にのせて、片手で独り酒を酌(つ)いであおりながら、
「英傑児も、あまり平和な温床に長く置くと黴(かび)が生えだして、ああいうことになるんだな」

「志を得ぬ鬱勃(うつぼつ)をそういうほうへ誤魔化しはじめると、人間ももうおしまいだな。……また、あの女も女ではないか。あれは劉恢(りゅうかい)の娘でもないし、いったい何だ」

「訊かれると面目ない」
「なぜ? なぜ貴様が面目ないのか」

「……実はその、あの芙蓉娘は拙者の旧主鴻家(こうけ)のご息女なので、劉恢どのも鴻家とは浅からぬ関係があった人だから、主家鴻家の没落後、おれが芙蓉娘をこの家へ連れてきて、匿(かくま)っておいてくれるように頼んだお方なのだ」

「え。では貴様の旧主のご息女なのか」
「まだ義盟を結ばない数年前のはなしだが、その芙蓉娘と玄徳様とは、黄匪(こうひ)に追われて、お互いに危うい災難に見舞われていた頃、偶然、或る地方の古塔の下で、出会ったことがあるので、とっくに双方とも知り合っていた仲なのだ」
「え。そんなに古いのか」
関羽が呆れ顔した時、室の外に誰かの靴音が聞えた。

主(あるじ)の劉恢であった。
劉恢は、室内の様子を見て、
「おさしつかえないですか」と、二人の許しをうけてから入ってきた。そしていうには、
「困ったことができました。数日の内に、洛陽の巡察使と定州の太守が、この地方へ巡遊に来る。そしてわしの邸がその宿舎に当てられることになった。当然、あなた方の潜伏していることが発覚する。一時どこかへ隠れ場所をお移しなさらぬと危ないが」
という相談であった。

折も折である。
関羽、張飛も、一時は途方にくれた心地がしたが、むしろこれは、天が自分らの懶惰(らんだ)を誡(いまし)むるものであると思って、
「いや、ご当家にも、だいぶ長い間の逗留となりました。そういうことがなくても、このへんで一転機する必要がありましょう。いずれわれわれども三名で相談の上、ご返辞申しあげます」

「なんともお気の毒じゃが。……なお、落着く先にお心当りもなければ、わしの信じる人物で安心のなる所へご紹介もして上げますから」
劉恢は、そういって、戻って行った。

後で、二人は顔見あわせて、
「玄徳様と芙蓉娘の仲を、主もさとってきて、これはいかんと、急にあんな口実をいってきたのではあるまいか」
「さあ。どうとも知れぬ」
「しかし、いい機(しお)だ」
「そうだ。玄徳様のためには至極いいことだ」

翌朝。二人はさっそく、「云々(しかじか)のわけですが」と、玄徳に主の旨を伝えて、善後策をはかった。
すると玄徳は、一時は、はっとした顔色だったが、直ぐうつ向いた眼ざしをきっとあげて、
「立退こう。恩人の劉大人にご迷惑をかけてもならぬし、自分もいつまで安閑とここにいる気もなかったところだから」と、いった。

そういう玄徳の面には、深く現在の自身を反省しているらしい様子が見えた。
そこで関羽は、思いきって、こういってみた。

「――ですが、お名残り惜しくはありませんか、この家の深窓の佳人に」
玄徳は微笑のうちにも、幾分か羞恥(しゅうち)の色をたたえながら、
「否(いな)とよ、恋は路傍の花」
と、答えた。

その一言に、
「さすがは」
と関羽も、自分の取越し苦労を打消し、すっかり眉をひらいた。

「そういうお気持なら安心ですが、実は、われわれの盟主たりまた、大望を抱いている英傑児が、一女性のために、壮志を蝕(むしば)まれてしまうなどとは、残念至極だと、張飛と共に、ひそかに案じていたところなのです。――ではあなたは飽くまで、芙蓉娘と本気で恋などにおちているわけではありますまいな」

「いや」
玄徳は、正直にいった。

「恋をささやいている間は、恥かしいが、わしは本気で恋をささやいているよ。女を欺(あざむ)けない、また、自分も欺けない。ただ、恋あるのみだ」

「え……?」
「だが両君。乞う、安んじてくれたまえ。玄徳はそれだけが全部にはなりきれない。恋のささやきも一ときの間だ。すぐわれに返る。中山靖王(ちゅうざんせいおう)の後裔(こうえい)劉備玄徳という我に返る。寒村の田夫(でんぷ)から身を起し、義旗をひるがえしてからすでに両三年、戦野の屍(しかばね)となりつるか、洛陽の府にさまよえるか、と故郷には今なお、わが子の私を待っている老いた母もいる。なんで大志を失おうや。……両君も、それは安心して可なりである。玄徳を信じてくれい」

故園(こえん)

その翌日である。玄徳たち三名は、にわかに五台山麓の地、劉恢(りゅうかい)の邸宅から一時身を去ることになった。

別れにのぞんで、主の劉恢は、落魄(らくはく)の豪傑玄徳らのために別離の小宴をひらいて、さていうには、
「また、時をうかがって、この地へぜひ戻っておいでなさい。お連れになってきた二十名の兵や下僕(しもべ)たちは、それまでてまえの邸に預かっておきましょう。そして今度お見えになった時こそ、再起のご準備におかかりなさい。黄巾の乱は小康を得ても、洛陽の王府そのものに自潰(じかい)の兆(きざ)しがあらわれてきています。せっかく、自重自愛して、どうか国家のために尽してください」

「ありがとう」
四人は起って乾杯した。

劉恢のいうように、ここへくる時連れて来た二十名ばかりの一族郎党の身は、皆、劉家に託しておいて、関羽、張飛、玄徳、思い思いに別れて一時身をかくすこととなった。
が――劉家の門を出る時は、三人一緒に出た。世間の眼もあるので、劉恢はわざと見送らなかった。けれど、邸内の楼台から三名の姿が遠くなるまで独り見送っている美人があった。いうまでもなく芙蓉娘(ふようじょう)であった。

張飛は知っていた。
しかし、わざと何もいわなかった。玄徳も黙々と歩いていた。
もう五台山の影も後ろに遠く霞んでから、張飛がそっと玄徳へいった。

「きのうお言葉を伺って、もう自分らもあなたの心事を疑うような気もちは抱いておりません。むしろ大丈夫の多情多恨のお心を推察しておりますよ。例えば、私が酒を愛するようなものですからな」

彼は、酒と恋を、一つものに考えているのだ。
その程度だから、玄徳の心に同情するといっても、およそ玄徳の感傷とははなはだ遠いものにちがいなかった。
「――だが、長兄」と、張飛はまた、玄徳の顔をさし覗いて言った。

「豪傑は色に触るべからずという法はない。あなただって一生涯独身でいられるわけもない。ほんとに芙蓉娘がお好きならこの張飛が話してどんなことにでもします。拙者にとっては、旧主のご息女ではあるし、ああいう頼りのないお身の上ですからむしろあなたに願っても生涯を見ていただきたいくらいなものですよ。けれど今はいけませんな。時でないでしょう。志を得た後のことにね」

「わかったよ」
玄徳は、うなずいた。

それから州道の道標の下まで来ると、
「じゃあ、わしはここから一人別れて、ひとまず郷里のタクケン出身へ行くからね、いずれまた、一度この五台山下へ戻って来るが」と、いった。

張飛も、関羽も、各々そこから別れて、ひとまず思い思いに落ちてゆくつもりであったが、片時の間も離れたことのない三人なので、さすがに寂しげに、
「こんどはいつここで会おう」
「この秋」
玄徳がいう。二人はうなずいて、
「ではあなたはこれから故郷タクケンの母御の元へおいでになるつもりですか」
「うむ。ご無事なお顔だけ拝したら、またすぐ風雲の裡(うち)へ帰ってくる。涼秋の八月、再び三人して、五台山の月を見よう」

「おさらば」
「気をつけて」
「お互いに」
三名は三方の道へ、しばし別離の姿をかえりみ合った。

関羽と張飛のふたりに別れてから、玄徳は姿を土民のふうに変えて、ただ一人、故郷のタクケンの楼桑村(ろうそうそん)へ、そっと帰って行った。

「ああ、桑の木も変らずにある……」
何年ぶりかで、わが家の門を見た玄徳は、そこに立つと一番先に、例の巨きな桑の大樹を、懐かしげに見上げていた。
――かたん。
――ことん、かたん。

すると蓆(むしろ)を織る機(はた)の音が家の裏のほうで聞えた。玄徳は、はっと心を打たれた。ここ両三年は馬上に長槍をとって、忘れはてていたが、幼少から衣食してきた生業(なりわい)の莚織(むしろおり)の機(はた)は、今なお、この故郷の家では休んでいなかった。

その機を、その筬(おさ)を、今も十年一日のごとく動かしている者は誰だろうか。
問うまでもない、玄徳の母であった。征野に立った息子の後を、ひとり留守している老いたる母にちがいなかった。

「いかにお淋しいことであったろう。また、ご不自由なことであったろう」
家にはいらぬうちに、玄徳はもう瞼(まぶた)を涙でいっぱいにしていた。思えば幾年の間、転戦また転戦、故郷の母に衣食の費を送るいとまさえなかった。便りすら幾度か数えるほどしかしていなかった。
――すみません。

彼はまず故園の荒れたる門に心から詫びて、そして機の音の聞える裏のほうへ馳けこんで行った。
ああそこに、黙然と、蓆(むしろ)を織っている白髪の人。――玄徳は見るなり後ろから馳け寄って、母の足もとへ、
「母上っ」
ひざまずいた。
「――母上。わたくしです。今帰って参りました」
「……?」
老母は、驚いた顔して、機の手を休めた。そして、玄徳のすがたをじっと見て、
「……阿備か」
と、いった。

「長い間、お便りもろくにせず、定めし何かとご不自由でございましたろう。陣中心にまかせず、転戦からまた転戦と、戦に暮れておりましたために」
子の言葉をさえぎるように、
「阿備。……そしておまえはいったい、何しに帰ってきたのですか」
「はい」
玄徳は地に面を伏せて、
「まだ志も達せず、晴れて母上にお目にかかる時機でもありませんが、先頃から官地を去って、野に潜(ひそ)んでおりますゆえ、役人たちの目をぬすんで、そっとひと目、ご無事なお顔を見に戻って参りました」

老母の眼は明らかにうるんでみえた。髪もわずかのうちに梨の花を盛ったように雪白になっていた。眼もとの肉もやつれてみえるし――機(はた)にかけている手は藁(わら)ゴミで荒れている。
しかし、以前にかわらないものは、子に対してじっと向ける眸の大きな愛と峻厳(しゅんげん)な強さであった。こぼれ落ちそうな涙をもこらえて、老母は、静かにいうのだった。

「阿備……」
「はい」
「それだけで、そなたはこの家へ帰っておいでなのかえ」
「え。……ええ」
「それだけで」
「――母上」

すがり寄る玄徳の手を、老母は、藁ゴミとともに裳(もすそ)から払って、たしなめるようにきつく言った。

「なんです。嬰児(あかご)のように。……それで、おまえは憂国の逸材ですか。帰ってきたものはぜひもないが、長居はなりませんぞ。こよい一晩休んだら、すぐ出てゆくがよい」

思いのほかな母の不機嫌な気色(けしき)なのである。それも、自分を励まして下さるためと、劉玄徳は、かえって大きな愛の下に泣きぬれてしまった。
母は、その子を、大地に見ながら、なお叱っていった。

「まだおまえが郷土を出てから、わずか二年か三年ではないか。貧しい武器と、訓練もない郷兵を集めて、この広い天下の騒乱の中へ打って出たおまえが、たった三年やそこらで、功を遂げ名をあげて戻ってこようなどと……そんな夢みたいなことを母は考えて待っておりはしない。……世の中というものはそんな単純ではありません」

「母上。……玄徳の過(あやま)りでございました。どこへ行っても、自分の正義は通らず、戦っても戦っても、なんのために戦ったのか、この頃、ふと失意のあまり疑いを抱いたりして」

「戦(いくさ)に勝つことは、強い豪傑ならば、誰でもすることです。そういう正しい道のさまたげにも、自分自身を時折に襲ってくる弱い心にも打ち克たなければ、所詮(しょせん)、大事はなし遂げられるものではあるまいが」

「……そうです」
「ようく、お分りであろう。……もうそなたも三十に近い男児。それくらいなことは」
「はい」

「そこらの豪傑たちが、乱世に乗じて、一州一郡を伐取(きりと)りするような小さい望みとは違うはずです。漢の宗室の末孫、中山靖王の裔(えい)であるおまえが、万民のために、剣をとって起ったのですよ」

「はい」
「千億の民の幸いを思いなさい。老先のないこの母ひとりなどが何であろう。そなたの心が――せっかく奮い起した大志が――この母ひとりのために鈍るものならば、母は、億民のために生命を縮めても、そなたを励ましたいと思うほどですよ」

「あ。母上」
玄徳は驚いて、ほんとにそういう決心もしかねない母の袂(たもと)にすがって、
「悪うござりました。もう決して女々(めめ)しい心はもちません。あしたの朝は、夜の明けぬうちにここを去りますから、どうかただ一晩だけお側において下さいまし」

「…………」
老母も、くずれるように、地へ膝をついた。そして、玄徳の体を、そっと抱いて、白髪の髪、頭の左右をふるわせながらささやいた。

「阿備や……。だが、わたしはね、亡きお父さんの代りにもなっていうのだよ。今のは、お父さまのお声だよ。お叱りだよ。――あしたの朝は、近所の人の人目にかからないように、暗いうちに立っておくれね」

そういうと、老母はいそいそと母屋(おもや)のほうへ立ち去った。
間もなく、厨(くりや)のほうから、夕餉(ゆうげ)を炊(かし)ぐ煙が這ってきた。失意の子のために、母はなにか温かい物でも夕餉にと煮炊きしているらしいのであった。
玄徳は、その間に、蓆機(むしろばた)へ寄って、織りのこして行った幾枚かの蓆を織りあげていた。

手もとが暗くなってくる。白い夕星がもう上にあった。
機(はた)を離れて、彼はひとり、裏の桃林をあちこちフラフラを歩いていた。はや晩春なので、桃の花はみな散り尽して黒い花の蕋(しべ)を梢に見るだけであった。

「ああ。故園は変らない――」
玄徳は嘆じた。

桃花はまた春に若やぐが、母の白髪が再び黒くかえる日はない。春秋は人の身のうえにのみ短い。しかも自分の思う望みは遠くまた大きく、いつの日、彼の母が心のそこからよろこんでくれる時がくるだろうか、考えると、いたずらに大きな嘆声が出るばかりであった。

「――阿備やあ。阿備やあ」
もう暗い母屋のほうでは、母が夕餉(ゆうげ)のできたことを告げて呼んでいる。玄徳は、なんの悩みもなかった少年の頃を思い出して、少年のように遠くから高く答えながら馳けだした。

乱兆(らんちょう)

時は、中平(ちゅうへい)六年の夏だった。
洛陽宮(らくようきゅう)のうちに、霊帝(れいてい)は重い病(やまい)にかかられた。
帝は病の篤(あつ)きを知られたか、
「何進(かしん)をよべ」
と、病褥(びょうじょく)から仰せ出された。

大将軍何進は、すぐ参内した。何進はもと牛や豚を屠殺(とさつ)して業としている者であったが、彼の妹が、洛陽にも稀な美人であったので、貴人の娘となって宮廷に入り、帝の胤(たね)をやどして弁皇子(べんおうじ)を生んだ。そして皇后となってからは何后(かこう)といわれている。

そのため兄の何進も、一躍要職につき、権を握る身となったのである。
何進は、病帝をなぐさめて、
「ご安心なさいまし。たとえ如何なることがあっても、何進がおります。また、皇子がいらっしゃいます」といって退がった。

しかし、帝の気色は、慰(なぐさ)まないようであった。
帝には、なお、複雑な憂悶(ゆうもん)があったのである。何后のほかに、王美人という寵姫があって、その腹にも皇子の協(きょう)が生れた。
何后は、それを知って、大いに嫉妬し、ひそかに鴆毒(ちんどく)を盛って、王美人を殺してしまった。そして、生(な)さぬ仲の皇子協を、霊帝のおっ母さんにあたる董(とう)太后の手へあずけてしまったのである。

ところが、董太后は、預けられた協皇子が可愛くてたまらなかった。帝もまた、何后の生んだ弁(べん)よりも、協に不愍(ふびん)を感じて偏愛されていた。
で、十常侍(じょうじ)の蹇碩(けんせき)などが、時々そっと帝が病で伏せている寝室へ来てささやいた。

「もし、協皇子を、皇太子に立てたいという思し召ならば、まず何后の兄何進から先に誅罰(ちゅうばつ)なさらなければなりません。何進を殺すことが、後患(こうかん)をたつ所以(ゆえん)です」

「……ウム」
帝は蒼白い顔でうなずかれた。
自己の病は篤い。いつとも知れない命数。
帝は決意すると急がれた。

にわかに、何進の邸へ向って、
「急ぎ、参内せよ」と、勅令があった。
何進は、変に思った。

「はてな。きのう参内したばかりなのに?」
急に帝の病状でも変ったのかと考えて、家臣に探らせてみるとそうでもない。のみならず、十常侍の蹇碩(けんせき)らが、なにか謀(はか)っている経緯(いきさつ)がうすうす分ったので、
「小癪(こしゃく)な輩。そんな策(て)に乗る何進ではない」
と、参内しないかわりに、廟堂の諸大臣を私館へ招いて、
「こういう事実がある。実に怪しからぬ陰謀だ。さなきだに天下みな、十常侍の輩を恨んで、機あらば、彼らの肉を啖(くら)わんとまで怨嗟(えんさ)している。おれもこの機会に、宦官(かんがん)どもをみな殺しにしようと思うが、諸公のご意見はどうだ」と、会議の席にはかった。

「…………」
誰も皆、黙ってしまった。ただびっくりした眼ばかりであった。すると、座隅の一席からひとりの白皙(はくせき)の美丈夫が起立して、
「至極けっこうでしょう。しかし十常侍とその与党の勢力というものは、宮中においては、想像のほかと承ります。将軍、威あり実力ありといえども、うっかり手を焼くと、ご自身、滅族(めつぞく)の禍(わざわ)いを求めることになりはしませんか」と忠言を吐いた。

見るとそれは、典軍(てんぐん)の校尉曹操(そうそう)であった。何進の眼から見ればまことに微々たる一将校でしかない。何進は苦い顔して、
「だまれっ。貴様のような若輩の一武人に、朝廷の内事が分ってたまるものか、ひかえろ」
と、一言に叱りつけた。
ために、座中白け渡って見えた時、折も折、霊帝がたった今崩御(ほうぎょ)されたという報らせが入った。

何進は、その報らせを手にすると、会議の席へ戻ってきて、諸大臣以下一同に向い、
「ただ今、重大なる報らせがあったが、まだ公の発表ではないから、そのつもりで聞いて欲しい」と、前提し、厳粛なる口調で、次のように述べた。

「天子、ご不例(ふれい)久しきにわたっておったが、今日ついに、嘉徳殿(かとくでん)において、崩御あそばされた」
「…………」

何進がそういい終っても、ややしばらくの間、会議の席は寂(せき)として、声を発する者もなかった。
諸大臣の面上には、はっとしたような色が流れた。予期していたことながら、
――どうなることか?
と、この先の政治的な変動やら一身の去就(きょしゅう)に、暗澹(あんたん)たる動揺がかくしきれなかった。

しかも場合が場合である。
何進が、十常侍をみな殺しにせんと息まいてこの席に計り、十常侍らは、何進を謀(はか)って、亡き者にしようと、暗躍しているという折も折であった。

そも、何の兆(きざ)しか。
人々が一瞬自失したかのように、見通しを持てぬ危惧(きぐ)の底に沈んで、
――ああ、漢朝四百年の天下も今日から崩れ始める兆(きざ)しか。
と、いうような予感に襲われたのも、決してむりではない。

しばし、黙祷のうちに、人々は亡き霊帝をめぐる近年の宮廷の浅ましい限りの女人と権謀の争いやら、数々の悪政の退廃を胸によびかえして、今さらのように、深い嘆息をもらし合った。
×     ×     ×
霊帝は不幸なお方だった。

何も知らなかった。十常侍たちの見せる「偽飾(ぎしょく)」ばかりを信じられて、世の中の「真実」というものは、何ひとつご存じなく死んでしまわれた。

十常侍の一派にとっては、霊帝は即ち「盲帝(もうてい)」であった。傀儡(かいらい)にすぎなかった。玉座は彼らが暴政をふるい魔術をつかう恰好な壇上であり帳(とばり)であった。

その悪政を数えたてればきりもないが、まず近年のことでは、黄巾の乱後、恩賞を与えた将軍や勲功者へ、裏からひそかに人をやって、
「公らの軍功を奏上して、公らはそれぞれ莫大な封禄の恩典にあずかりたるに、それを奏した十常侍に、なんの沙汰もせぬのは、非礼ではないか」
などと賄賂(わいろ)の”なぞ”をかけたりした。

恐れて、すぐ賂(まいない)を送った者もあるが、皇甫嵩(こうほすう)と、朱雋(しゅしゆん)の二将軍などは、
「何をばかな」
と、一蹴したので、十常侍たちはこもごもに、天子に讒(ざん)したので、帝はたちまち、朱雋、皇甫嵩のふたりの官職を剥いで、それに代るに、趙忠(ちょうちゅう)を車騎将軍に任命した。

また、張譲(ちょうじょう)その他の内官十三人を列侯に封じ、司空張温(しくうちょううん)を大尉に昇せたりしたので、そういう機運に乗った者は、十常侍に媚びおもねって、さらに彼らの勢力を増長させた。
たまたま、忠諫(ちゅうかん)をすすめ、真実をいう良臣は、みな獄に下されて、斬られたり毒殺されたりした。

従って宮廷の乱れは、あざむかず、民間に反映して、地方にふたたび黄巾賊の残党やら、新しい謀叛人(むほんにん)が蜂起(ほうき)して、洛陽城下に天下の危機が聞えてきた。

この動乱と風雲の再発に、人の運命も波浪にもてあそばれる如く転変をきわめたが、たまたま、幸いしたのは、前年来、不遇の地におわれて、代州の劉恢(りゅうかい)の情けにようやく身をかくしていた劉備玄徳(りゅうびげんとく)であった。

黄匪(こうひ)の乱がやんでからまた間もなく、近年各地に蜂起した賊では、漁陽(ぎょよう)を騒がした張挙(ちょうきょ)、張純(ちょうじゅん)の謀叛。長沙(ちょうさ)、江夏(こうか)あたりの兵匪の乱などが最も大きなものだった。

「天下は泰平です。みな帝威に伏して、何事もありません」
十常侍の輩は、口をあわせて、いつもそんなふうにしか、奏上していなかった。
だが。
長沙の乱へは、孫堅を向わせて、平定に努めていた。
また劉焉(りゅうえん)を益州の牧(ぼく)に封じ、劉虞(りゅうぐ)を幽州に封じて、四川(しせん)や漁陽方面の賊を討伐させていた。

その頃。
故郷のタクケンから再び戻って、代州(だいしゅう)の劉恢(りゅうかい)の邸に身を寄せていた玄徳は、主(あるじ)劉恢から(時節は来た。これをたずさえて、幽州の劉虞(りゅうぐ)を訪ねてゆきたまえ。虞(ぐ)は自分の親友だから、君の人物を見ればきっと重用するだろう)
といわれて、一通の紹介状をもらった。

玄徳は恩を謝して、直ちに、関羽張飛などの一族をつれ、劉虞の所へ行った。劉虞はちょうど、中央の命令で、漁陽に起った乱賊を誅伐(ちゅうばつ)にゆく出陣の折であったから、大いによろこんで、
(よし。君らの一身はひきうけた)と、自分の軍隊に編入して、戦場へつれて行った。

四川、漁陽の乱も、ようやく一時の平定を見たので、その後、劉虞は朝廷へ表をたてまつって、玄徳の勲功あることを大いにたたえた。
同時に、廟堂の公孫賛(こうそんさん)も、
(玄徳なる者は、前々黄賊の大乱の折にも抜群の功労があったものです)と、上聞(じょうぶん)に達したので、朝廷でも捨ておかれず、詔(みことのり)を下して、彼を平原県(へいげんけん)の令に封じた。

で、玄徳は、即時、一族を率いて任地の平原へさし下った。行ってみると、ここは地味豊饒(ほうじょう)で銭粮(せんろう)の蓄えも官倉に満ちているので、
(天、我に兵馬を養わしむ)と、みな非常に元気づいた。そこで玄徳以下、張飛や関羽たちも、ようやくここに酬(むく)いられて、前進一歩の地をしめ、大いに武を練り兵を講じ、駿馬に燕麦(えんばく)を飼って、平原の一角から時雲の去来をにらんでいた。

――果たせるかな。
一雲去れば一風生じ、征野に賊を掃(はら)い去れば、宮中の瑠璃殿裡(るりでんり)に冠帯(かんたい)の魔魅(まみ)や金釵(きんさい)の百鬼は跳梁して、内外いよいよ多事の折から、一夜の黒風に霊帝は崩ぜられてしまった。

紛乱(ふんらん)はいよいよ紛乱を見るであろう。漢室四百年の末期相(まっきそう)はようやくここに瓦崩(がほう)のひびきをたてたのである。――いかになりゆく世の末やらん、と霊帝崩御の由を知るとともに、人々みな色を失って、呆然、足もとの大地が九仞(きゅうじん)の底へめりこむような顔をしたのも、あながち、平常の心がけなき者とばかり嗤(わら)えもしないことであった。
×     ×     ×
会議の席も、寂(せき)としてしまい、咳声(しわぶき)をする者すらなかったが、そこへまた、あわただしく、
「将軍。お耳を」と、室外にちらと影を見せた者があった。

何進(かしん)に通じている禁門の武官潘隠(はんいん)であった。
「お、潘隠か。なんだ」
何進はすぐ会議の席をはずし、外廊で何かひそひそ潘隠のささやきを聞いていた。

潘隠が告げていうには、
「十常侍の輩は例によって、帝の崩御と同時に、謀議をこらし、帝の死を隠しておいて、まずあなたを宮中に召し、後の禍いを除いてから喪(も)を発し、協皇子を立てて御位を継がしめようという魂胆(こんたん)に密議は一決を見たようであります。――きっと今に、宮中から帝の名をもって、将軍に参内せよと、使いがやってくるにちがいありません」

何進は聞いて、
「獣(けだもの)めら、よしっ、それならそれで俺にも考えがある」
憤怒(ふんど)して、会議の壇に戻り、潘隠の密報を諸大臣や、並いる文武官に公然とぶちまけて発表した。

ところへ案の定、宮中からお召しという使者が来邸して、
「天子、今ご気息も危うし。枕頭(ちんとう)に公を召して、漢室の後事を託せんと宣(のたま)わる。いそぎ参内あるべし」と、うやうやしくいった。
「狸め」
何進は、潘隠へ向って、
「こいつを血祭にしろ」と命じるや否や、再び、会衆の前に立って、
「もう俺の堪忍はやぶれた。断乎(だんこ)として俺は欲することをやるぞ!」と怒鳴った。

すると、先に忠言して何進に一喝された典軍の校尉曹操(そうそう)が、ふたたび沈黙を破って、
「将軍将軍。今日ついに断を下して計をなさんとするならば、まず、天子の位を正してしかる後に賊を討つことをなしたまえ」と叫んだ。

何進も、今度は前のように、だまれとはいわなかった。大きくうなずいて、
「誰か我がために、新帝を正して、宮闕(きゅうけつ)の謀賊どもを討ち尽さん者やある」
爛(らん)たる眼をして、衆席を見まわすと、時に、彼の声に応じて、
「司隷校尉(しれいこうい)袁紹(えんしょう)ありっ!」と名乗って起った者がある。

人々の首(こうべ)は、一斉にそのほうへ振向いた。見ればその人は、貌相(ぼうそう)魁偉(かいい)胸ひろく双肩(そうけん)威風をたたえ、武芸抜群の勇将とは見られた。

これなん、漢の司徒袁安(えんあん)が孫、袁逢(えんほう)が子、袁紹(えんしょう)であった。袁紹字(あざな)は本初(ほんしょ)といい、汝南(じょなん)汝陽(じょよう)の名門で門下に多数の吏事武将を輩出し、彼も現在は漢室の司隷校尉の職にあった。

袁紹は、昂然とのべた。
「願わくば自分に精兵五千を授けたまえ。直ちに禁門に入って、新帝を擁立(ようりつ)し奉り、多年禁廷に巣くう内官どもをことごとく誅滅(ちゅうめつ)して見せましょう」

何進はよろこんで、
「行けっ」と、号令した。

この一声に洛陽の王府は一転戦雲の天と修羅の地になったのである。
袁紹は、たちまち鉄甲に身を鎧(よろ)い、御林(ぎょりん)の近衛兵五千をひっさげて、内裏(だいり)まで押通った。王城の八門、市中の衛門のこらず閉じて戒厳令を布き、入るも出ずるも味方以外は断乎として一人も通すなと命じた。

その間に。
何進もまた、車騎将軍たる武装をして何ギョウ(かぎょう)、荀攸(じゅんゆう)、鄭泰(ていたい)などの一族や大臣三十余名を伴(ともな)い、陸続と宮門に入り、霊帝の柩(ひつぎ)のまえに、彼が支持する弁太子(べんたいし)を立たせて、即座に、新帝ご即位を宣言し、自分の発声で、百官に万歳を唱えさせた。

舞刀飛首(ぶとうひしゅ)

百官の拝礼が終って、
「新帝万歳」の声が、喪の禁苑(きんえん)をゆるがすと共に、御林軍(ぎょりんぐん)(近衛兵)を指揮する袁紹(えんしょう)は、
「次には、陰謀の首魁蹇碩(けんせき)を血まつりにあげん」
と、剣を抜いて宣言した。

そしてみずから宮中を捜しまわって、蹇碩のすがたを見つけ、
「おのれっ」と、何処までもと追いかけた。

蹇碩はふるえ上がって、懸命に逃げまわったが、度を失って御苑の花壇の陰へ這いこんでいたところを、何者かに尻から槍で突き殺されてしまった。
彼を突き殺したのは、同じ仲間の十常侍郭勝(かくしょう)だともいわれているし、そこらにまで、乱入していた一兵士だともいわれているが、いずれにせよ、それすら分らない程、もう宮闕(きゅうけつ)の内外は大混乱を呈して、人々の眼も血ばしり、気も逆上(あが)っていたにちがいなかった。

袁紹(えんしょう)は、さらに気負って、何進の前へ行き、
「将軍、なんで無言のままこの混乱を見ているんですか。時は今ですぞ、宮廷の癌(がん)、社稷(しゃしょく)の鼠賊(そぞく)ども、十常侍の輩を一匹残らず殺してしまわなければいけません。この機を逸したら、再び臍(ほぞ)を噛むような日がやってきますぞ」と、進言した。

「ウむ。……むむ」
何進はうなずいていた。
けれど顔色は蒼白で、日頃の元気も見えない。元来、小心な何進、一時は憤怒にかられて、この大事をあえて求めたが、一瞬のまに禁門の内外はこの世ながらの修羅地獄と化し、自分を殺そうと謀った蹇碩(けんせき)も殺されたと聞いたので、一時の怒りもさめて、むしろ自分のつけた火の果てなくひろがりそうな光景に、呆然と戦慄をおぼえているらしい様子であった。

その間に。
一方十常侍の面々は、
「すわ、大変」と、狼狽して、張譲(ちょうじょう)を始め、おのおの生きた心地もなく、内宮へ逃げこんで、窮余の一策とばかり、何進の妹にして皇后の位置にある何后(かこう)の裙下(くんか)にひざまずいて、百拝、憐愍(れんびん)を乞うた。

「よい、よい。安心せい」
何后はすぐ、兄の何進を呼びにやった。
そして何進をなだめた。

「私たち兄妹が、微賤(びせん)の身から今日の富貴(ふうき)となったのも、そのはじめは十常侍たちの内官の推薦があったからではありませんか」

何進は、妹にそう言われると、むかし牛の屠殺をしていた頃の貧しい自分の姿が思い出された。
「なに、俺は、俺を殺そうと謀った蹇碩の奴さえ誅戮(ちゅうりく)すればいいのだ」
内宮を出ると、何進は、右往左往する味方や宮内官たちを、鎮撫する気でいった。

「蹇碩は、すでに誅罰した。彼は我を害さんとしたから斬ったのである。我に害意なき者には、我また害意なし。安心して鎮まれ!」
すると、それを聞いて、
「将軍、何をばかなことをいうんですか」
と、袁紹(えんしょう)は血刀を持ったまま彼の前へきて、その軽忽(けいこつ)を責めた。

「この大事を挙げながら、そんな手ぬるい宣言を将軍の口から発しては困ります。今にして、宮闕(きゅうけつ)の癌(がん)を除き、根を刈り尽しておかなければ、後日かならず後悔なさいますぞ」

「いや、そういうな。宮門の火の手が、洛陽一面の火の手になり、洛陽の火の手が、天下を燎原(りょうげん)の火としてしまったら取返しがつかんじゃないか」
何進の優柔不断は、とうとう袁紹の言を容れなかった。

一時、禁門の兵乱は、治まったかに見えた。
その後。
何后(かこう)、何進の一族は、
「邪魔ものは董太后(とうたいこう)である」
と、悪策をめぐらして、太后を河間(かかん)という片田舎へ遷(うつ)してしまった。

故霊帝の母公たる董太后も、今は彼らの勢力に拒む力もなかった。これというのも、前帝の寵妃(ちょうひ)だった王美人の生んだ協皇子を愛するのあまり、何后、何進らの一族から睨まれた結果と――ぜひなき運命の輦(くるま)のうちに涙にくれながら都離れた地方へ送られて行った。

けれど、何后も何進も、それでもまだ不安を覚えて、ひそかに後から刺客をやって、董太后を殺してしまった。
わずかの間に董太后はふたたび洛陽の帝城に還ってきたが、それは柩(ひつぎ)の中に冷たい空骸(むくろ)となって戻られたのであった。
京師では大葬が執行(とりおこな)われた。

けれど、何進は、
「病中――」と称して、宮中へも世間へも顔を出さなかった。
彼は怒りっぽい。
しかも、小心であった。

彼は自己や一門の栄華のために大悪もあえてする。けれど小心な彼は半面でまた、ひどく世間に気がねし、自らも責めている。
要するに何進は、下賤から人臣の上に立ったが、大なる野望家にもなりきれず、ほんとの悪人にもなりきれず、位階冠帯は重きに過ぎて、右顧左眄(うこさべん)、気ばかり病んでいるつまらない人物だった。

貝殻が人の足音に貝のフタをしているように、門から出ないので、或る日、袁紹は何進の邸を訪ねて、
「どうしました将軍」と、見舞った。
「どうもせんよ」
「お元気がないじゃないですか」
「そんなことはない」
「――ところで、聞きましたか」
「何を? ……じゃね」
「董太后のお生命をちぢめた者は何進なりと、また、例の宦官(かんがん)どもが、しきりと流言を放っているのを」
「……ふうむ」

「だから私がいわない事ではありません。今からでも遅くないでしょう。あくまでも、彼奴(きゃつ)らは癌(がん)ですよ。根こそぎ切ってしまわなければ、どう懲らしても、日が経てばすぐ芽を生やし、根を張って、増長わがまま、陰謀暗躍、手がつけられない物になるんです」

「……む、む」
「ご決断なさい」
「考えておこう」

煮え切らない顔つきである。
袁紹は舌打ちして帰った。
奴僕(ぬぼく)の中に、宦官(かんがん)たちのまわし者が住みこんでいる。
「袁紹が来てこうこうだ」とすぐ密報する。

諜報をうけて、
「また、大変だ」と、宦官らはあわてた。――だが、危険になると、消火栓のような便利な手がある。何進の妹の何后へすがって泣訴することであった。

「いいよ」
何后は、彼らからあやされている簾中(れんちゅう)の人形だったが、兄へは権威を持っていた。

「何進をおよび」
また、始まった。

「兄さん、あなたは、悪い部下にそそのかされて、またこの平和な宮中を乱脈に騒がすようなことを考えなどなさりはしないでしょうね。禁裡の内務を宦官がつかさどるのは、漢の宮中の伝統で、それを憎んだり殺したりするのは、宗廟に対して非礼ではありませんか」

釘を刺すと、何進は、
「おれはなにもそんなことを考えておりはせぬが……」
と、あいまいに答えたのみで退出してしまった。

宮門から退出してくると、
「将軍。どうでした」
と、彼の乗物の蔭に待っていた武将が、参内の吉左右(きっそう)を小声でたずねた。

「あ。……袁紹(えんしょう)か」
「何太后に召されたと聞いたので、案じていたところです。何か、宦官(かんがん)の問題で、ご内談があったのでしょう」

「……ム。あったにはあったが」
「ご決意を告げましたか」
「いや、こちらから云いださないうちに、太后から、憐愍(れんびん)の取りなしがあったので」

「いけません」
袁紹は、断乎としていった。

「そこが、将軍の弱点です。宦官どもは、一面にあなたを陥し入れるように、陰謀や悪宣伝を放って、露顕しかかると、太后の裳(も)やお袖にすがって、泣き声で訴えます。――お気の弱い太后と、太后のいうことには反(そむ)かないあなたの急所を、彼らはみこんでやっている仕事ですからな」

「なるほど……」
そういわれると、何進も、気づくところがあった。

「今です。今のうちです。今日をおいて、いつの日かありましょう。よろしく、四方の英雄に檄(げき)を飛ばし、もって万代(ばんだい)の計を、一挙に定められるべきです」

彼の熱弁には、何進もうごかされるのである。なるほどと思い――それもそうだと思い、いつのまにか、
「よしっ、やろう。実はおれもそれくらいのことは考えていたのだ」と、いってしまった。

二人の密談を、乗物のおいてある樹蔭の近くで聞いていた者がある。典軍の校尉曹操であった。
曹操は、独りせせら笑って、
「ばかな煽動をする奴もあればあるものだ。癌(がん)は体じゅうにできている物じゃない。一個の元凶を抜けばいいのだ。宦官のうちの首謀者をつまんで牢へぶちこめば、刑吏の手でも事は片づくのに、諸方の英雄へ檄を飛ばしたりなどしたら、漢室の紊乱(びんらん)はたちまち諸州の野望家のうかがい知るところとなり、争覇の分脈は、諸国の群雄と、複雑な糸をひいて、天下はたちまち大乱になろう」

それから、彼はまた、何進の輦(くるま)について歩きながら、
「……失敗するにきまっている。さあ、その先は、どんなふうに風雲が旋(めぐ)るか」
と、独りごとにいっていた。

けれど、曹操は、もう自分の考えを、何進に直言はしなかった。その点、袁紹の如く真っ正直な熱弁家でもないし、何進のような小胆者とも違う彼であった。

彼は今、天下に多い野望家とつぶやいたが、彼自身もその一人ではなかろうか。白皙秀眉(はくせきしゅうび)、丹唇(たんしん)をむすんで、唯々(いい)として何進の警固についてはいるが、どうもその輦の中にある上官よりも典軍の一将校たる彼のほうが、もっと底の深い、もっと肚も黒い、そしてもっと器(うつわ)も大きな曲者ではなかろうかと見られた。
×     ×     ×
ここに、西涼(せいりょう)の地にある董卓(とうたく)は、前に黄巾賊の討伐の際、その司令官ぶりは至って香(かんば)しくなく、乱後、朝廷から罪を問われるところだったが、内官の十常侍一派をたくみに買収したので、不問に終ったのみか、かえって顕官の地位を占めて、今では西涼の刺史(しし)、兵二十万の軍力をさえ擁していた。

その董卓の手へ、
「洛陽からです」
と或る日、一片の檄(げき)が、密使の手から届けられた。

洛陽にある何進(かしん)は、先ごろ来、檄を諸州の英雄に飛ばして、

天下の府、枢廟(すうびょう)の弊(へい)や今きわまる。よろしく公明の旌旗(せいき)を林集し、正大の雲会を遂げ、もって、昭々(しょうしょう)日月の下に万代の革政を諸公と共に正さん。

といったような意味を伝え、その反響いかにと待っていたところ、やがて諸国から続々と、
「上洛参会(じょうらくさんかい)」
とか、或いは、
「提兵援助」
などという答文をたずさえた使者が日夜早馬で先触れして来て、彼の館門を叩いた。

「西涼の董卓(とうたく)も、兵をさげてやって来るようですが」
――御史(ぎょし)の鄭泰(ていたい)なる者が、何進の前に来て云った。

「檄文は、董卓へもお出しになったんですか?」
「む。……出した」
「彼は、豺狼(さいろう)のような男だとよく人はいいます。京師へ豺狼を引入れたら人を喰いちらしはしませんかな」

鄭泰(ていたい)が憂えると、
「わしも同感だ」
と、室の一隅で、参謀の幕将たちと、一面の地形図をひらいていた一老将が、歩を何進のほうへ移してきながら言った。
見ると、中郎将盧植(ろしょく)である。

彼は黄匪討伐の征野から讒(ざん)せられて、檻車(かんしゃ)で都へ送られ、一度は軍の裁廷で罪を宣せられたが、後、彼を陥し入れた左豊(さほう)の失脚とともに、免(ゆる)されて再び中郎将の原職に復していたのである。

「おそらく董卓は、檄文を見て時こそ来れりとよろこんだに違いない。政廟の革正をよろこぶのでなく、乱をよろこび、自己の野望を乗ずべき時としてです。――わしも董卓の人物はよく知っておるが、あんな漢(おとこ)をもし禁廷に入れたら、どんな禍患を生じるやも計り知れん」

盧植は、わざと、鄭泰のほうへ向って話しかけた。暗に何進を諫(いさ)めたのである。だが何進は、用いなかった。

「そう諸君のように、疑心をもっては、天下の英雄を操縦はできんよ」
「――ですが」

鄭泰(ていたい)がなお、苦言を呈しかけると何進はすこし不機嫌に、
「まだまだ、君たちは、大事を共に謀るに足りんなあ」と、いった。

鄭泰も、盧植も、
「……そうですか」
と、後のことばを胸にのんで退がってしまった。そしてこの両者をはじめ、心ある朝臣たちも、こんなことを伝え聞いて、そろそろ何進の人間に見限(みき)りをつけだして離れてしまった。

「董卓どのの兵馬は、もう洛陽西方まで来ているそうです」
何進は、部下から聞いて、
「なぜすぐにやって来んのか。迎えをやれ」と、しばしば使いを出した。
けれど、董卓は、
「長途を来たので、兵馬にも少し休養させてから」
とか、軍備を整えてとか、何度催促されても、それ以上動いて来なかった。何進の催促を馬耳東風(ばじとうふう)に、豺狼(さいろう)の眼をかがやかしつつ、ひそかに、眈々(たんたん)と洛内の気配をうかがっているのであった。

一方。宮城内の十常侍らも、何進が諸国へ檄(げき)をとばしたり、檄に応じて董卓などが、洛陽西方の附近にまできて駐軍しているなどの大事を、知らないでいる筈はない。

「さてこそ」と、彼らはあわてながらも対策を講ずるに急だった。そこで張譲らはひそかに手配にかかり、刀斧(とうふ)鉄弓をたずさえた禁中の兵を、嘉徳門や長楽宮の内門にまでみっしり伏せておいて、何太后をだまし何進を召すの親書を書かせた。

宮門を出た使者は平和時のように、わざと美車金鞍(びしゃきんあん)をかがやかせ、なにも知らぬ顔して、書を何進の館門へ届けた。

「いけません」
何進の側臣たちは、即座に十常侍らの陥穽(かんせい)を看破(みやぶ)って改めるように忠告した。

「太后の御詔(ごしょう)とて、この際、信用はできません。危ない限りです。一歩もご門外に出ることはなさらぬほうが賢明です」

こういわれると、それに対して自分にない器量をも見せたいのが何進の病であった。
「なにをいう。宮中の病廃を正し、政権の正大を期し、やがては天下に臨まんとするこの何進である。十常侍らの輩(ともがら)が我に何かせん。彼らごとき廟鼠輩(びょうそはい)を怖れて、何進門を閉ざせりと聞えたら天下の英雄どもも、かえって予を見くびるであろう」

変にその日は強がった。
すぐ車騎の用意を命じ、その代り鉄甲の精兵五百に、物々しく護衛させて、参内に出向いた。果たせるかな、青鎖門(せいさもん)まで来ると、
「兵馬は禁門に入ることならん。門外にて待ちませい」
と隔てられ、何進は、数名の従者だけつれて入った。それでも彼は傲然(ごうぜん)、胸をそらし、威風を示して歩いて行ったが、嘉徳門のあたりまでかかると、
「豚殺し待てっ」
と、物陰から怒鳴られて、あっとたじろぐ間に、前後左右、十常侍一味の軍士たちに取巻かれていた。

躍りでた張譲(ちょうじょう)は、
「何進っ、汝は元来、洛陽の裏町に、豚を屠殺して、からくも生きていた貧賤ではなかったか。それを、今日の栄位まで昇ったのは、そもそも誰のおかげと思うか。われわれが陰に陽に、汝の妹を天子に薦(すす)め奉り、汝をも推挙したおかげであるぞ。――この恩知らずめ!」と、面罵した。

何進は、真ッ蒼になって、
「しまった!」
と口走ったが、時すでに遅しである。諸所の宮門はみな閉ざされ、逃げまわるにも刀斧(とうふ)鉄槍、身を囲んで、一尺の隙もなかった。

「――わッっ。だっ!」
何進はなにか絶叫した。空へでも飛び上がってしまう気であったか、躍り上がって、体を三度ほどぐるぐるまわした。張譲は、跳びかかって、
「下郎っ。思い知ったか」
と、真二つに斬りさげた。

青鎮門外ではわいわいと騒がしい声が起っていた。なにかしら宮門の中におかしな空気を感じだしたものとみえ、
「何将軍はまだ退出になりませんか」
「将軍に急用ができましたから、早くお車に召されたいと告げて下さい」
などと喚いて動揺しているのであった。

すると、城門の墻壁(しょうへき)の上から、武装の宮兵が一名首を出して、
「やかましいッ。鎮まれ。汝らの主人何進は、謀叛(むほん)のかどによって査問に付せられ、ただ今、かくの如く罪に服して処置は終った。これを車にのせて立帰れっ」

なにか蹴鞠(けまり)ほどな黒い物がそこからほうられてきたので、外にいた面々は、急いで拾い上げてみると、唇を噛んだ蒼い何進の生首であった。

蛍の彷徨い(ほたるのさまよい)

何進の幕将で中軍の校尉袁紹(えんしょう)は、何進の首を抱いて、
「おのれ」と、青鎖門を睨んだ。
同じ何進の部下、呉匡(ごきょう)も、
「おぼえていろ」と、怒髪を逆だて、宮門に火を放つと五百の精兵を駆って、なだれこんだ。

「十常侍をみなごろしにしろ」
「宦官(かんがん)どもを焼きつくせ」
華麗な宮殿は、たちまち土足の暴兵に占領された。炎と、黒煙と、悲鳴と矢うなりの旋風(つむじかぜ)であった。

「汝(うぬ)もかっ」
「おのれもかっ」

宦官と見た者は、見つかり次第に殺された。宮中深く棲んでいた十常侍の輩なので、兵はどれが誰だかよく分らないが、髯(ひげ)のない男だの、俳優のように”にやけ”て美装している内官は、みんなそれと見なして首を刎ねたり突き殺したりした。

十常侍趙忠(ちょうちゅう)や郭勝(かくしょう)などという連中も、西宮翠花門(せいきゅうすいかもん)まで逃げ転んできたが、鉄弓に射止められて、虫の息で這っているところを、ずたずたに斬りきざまれ、手足は翠花楼の大屋根にいる鴉(からす)へ投げられ、首は西苑の湖中へ跳ねとばされた。

天日も晦(くら)く、地は燃ゆる。
女人たちの棲む後宮の悲鳴は、雲にこだまし地底まで届くようだった。
その中を、十常侍一派の張譲、段珪(だんけい)のふたりは、新帝と何太后と、新帝の弟にあたる協皇子――帝が即位してからは、陳留王(ちんりゅうおう)といわれている――の三人を黒煙のうちから救け出して、北宮翡翠門(ひすいもん)からいち早く逃げ出す準備をしていた。

ところへ。
戈(ほこ)を引っさげ、身を鎧い、暴れ馬に泡を噛ませてきた一老将がある。宮門に変ありと、火の手を見るとともに馳せつけてきた中郎将盧植であった。

「待てっ毒賊。帝を擁し、太后をとって、何地(いずち)へゆかんとするかっ」
大喝して、馬上から降りるまに張譲たちは、新帝と陳留王の車馬に鞭打って逃げてしまった。

ただ何太后だけは、盧植の手にひき留められた。
折ふし、宮中各所の火災を、懸命に部下を指揮して消し止めていた校尉曹操に出会ったので、ふたりは、
「新帝のご帰還あるまで、しばし、大権をお執りくだされたい」
と請い、一方諸方に兵を派して、新帝と陳留王の後を追わせた。

洛陽の巷にも火が降っていた。兵乱は今にも全市に及ぶであろうと、家財商品を負って避難する民衆で混乱は極まっている。その中を――張譲らの馬と、新帝、皇弟を乗せた輦(くるま)は、逃げまどう老父を轢(ひ)き、幼子を蹴とばして、躍るが如く、城門の郊外遠くまで逃げ落ちてきた。

けれど、輦の車輪はこわれ、張譲らの馬も傷ついたり、ぬかるみへ脚を入れたりして、みな徒歩(かち)にならなければならなかった。
「――ああ」
帝は、時々、よろめいた。
そして大きく嘆息された。

かえりみれば、洛陽の空は、夜になってまだ赤かった。
「もう少しのご辛抱です」
張譲らは、帝を離すまいとした。帝を擁することが自分らの強味だからである。
草原の果てに、北妄山(ほくぼうざん)が見えた。夜は暗い。もう三更(こう)に近いであろう。すると一隊の人馬がおって来た。張譲は観念した。追手と直感したからである。

「もうだめだっ」
無念を叫びながら、張譲は、自ら河に飛込んで自殺してしまった。帝と、帝の弟の陳留王(ちんりゅうおう)とは、河原の草の裡(うち)へ抱き合って、しばし近づく兵馬に耳をすましておられた。

やがて河を越えて驟雨のように馳け去って行ったのは、河南の中部掾史(ちゅうぶえんし)、閔貢(びんこう)の兵馬であったが、なにも気づかず、またたくまに闇に消え去ってしまった。
「…………」
しゅく、しゅく……と新帝は草むらの中で泣き声をもらした。

皇弟陳留王は、わりあいにしっかりした声で、
「ああ飢餓(きが)をお覚えになりましたね。ごもっともです。私も、今朝から水一滴飲んでいませんし、馴れない道を、夢中で歩いてきたので、身を起そうとしてもただ身がふるえるばかりです」と、慰めて――「けれど、この河原の草の中で、このまま夜を明かすこともできません。ことに、ひどい夜露、お体にもさわります。――歩けるだけ歩いてみましょう。どこか民家でもあるかもしれません」

「…………」
帝は微かにうなずいた。
二人は、衣の袂(たもと)と袂とを結び合わせ、「迷わないように」と、闇を歩いた。
茨(いばら)か、野棗(のなつめ)か、とげばかりが脚を刺した。帝も陳留王も生れて初めて、こうした世のあることを知ったので、生きた気もちもなかった。

「ああ、蛍が……」
陳留王はさけんだ。

大きな蛍の群れが、風のまにまに一かたまりになって、眼のまえをふわふわ飛んでゆく、蛍の光でも非常に心づよくなった。

夜が明けかけた――
もう歩けない。
新帝はよろめいたまま起き上がらなかった。陳留王も、
「ああ」と、腰をついてしまった。

昏々(こんこん)と、しばらくは何もしらなかった。誰かそのうちに起す者がある。
「どこから来た?」と、訊ねるのである。
見まわすと、古びた荘院の土塀が近くにある。そこの主(あるじ)かもしれない。
「いったい、そなた達は、何人(なにびと)のお子か」
と、重ねて問う。

陳留王は、まだしっかりした声を持っていた。帝を指さして、
「先頃、ご即位されたばかりの新帝陛下です。十常侍の乱で、宮門から遁れてきたが、侍臣たちはみなちりぢりになり、ようやく、私がお供をしてこれまで来たのです」と、いった。

主は、仰天して、
「そして、あなたは」と、眼をまろくした。
「わしは、帝の弟、陳留王という者である」
「げっ、では真の? ……」
主は、驚きあわてた様で、帝を扶けて、荘院のうちへ迎え入れた。古びた田舎邸(やしき)である。

「申しおくれました。自分儀は、先朝にお仕え申していた司徒(しと)崔烈(さいれつ)の弟で、崔毅(さいき)という者であります。十常侍の徒輩が、あまりにも賢を追い邪を容れて、目をおおうばかりな暴状に、官吏がいやになって、野(や)に隠れていた者でございます」

主は改めて礼をほどこした。
その夜明け頃――
河へ投身して死んだ張譲を見捨てて、段珪(だんけい)はひとり野道を逃げ惑うてきたが、途中、閔貢(びんこう)の隊に見つかって、天子の行方を訊かれたが、知らないと答えると、
「不忠者め」
と、閔貢は、馬上から一颯(さつ)に斬ってしまった。そしてその首を、鞍に結びつけ兵へ向って、
「なにせい、この地方に来られたに違いない」と、捜査の手分けを命じ、自身もただ一騎馳け、彼方此方(あなたこなた)と、血眼(ちまなこ)で尋ねあるいていた。

崔毅(さいき)の家をかこむ木立の空に、炊煙があがっていた。
帝と陳留王のふたりを匿(かく)しておいた茅屋(あばらや)の板戸を開いて、崔毅は、
「田舎です、なにもありませんが、飢えをおしのぎ遊ばすだけと思(おぼ)し召して、この粥(かゆ)など一時召上がっていてください」と、食事を捧げた。

帝も、皇弟も、浅ましきばかりがつがつと粥をすすられた。
崔毅は涙を催して、
「安心して、お眠りください。外はてまえが見張っておりますから」と、告げて退がった。

荒れた傾(かし)いだ荘院の門に立ったまま、崔毅は半日も立っていた。
すると、戛々(かつかつ)と、馬蹄の音が木立の下を踏んでくる。
「誰か?」
どきっとしながらも、何くわぬ顔して、箒(ほうき)の手をうごかしていた。

「おいおい、家の主、なにか喰う物はないか。湯なと一杯恵んでくれい」
声に振向くと、それは馬上の閔貢(びんこう)であった。

崔毅は、彼の馬の鞍に結いつけてある生々しい首級を見て、
「おやすいことです。――ですが豪傑、その首は一体、誰の首です」
閔貢は問われると、
「知らずや、これは十常侍張譲などと共に、久しく廟堂に巣くって、天下の害をなした段珪という男だ」

「えっ、ではあなたはどなたですか」
「河南の掾史閔貢(えんしびんこう)という者だが、昨夜来、帝のお行方が知れないので、ほうぼうお捜し申しておるのだ」
「ああ、では!」

崔毅は、手をあげて、奥のほうへ転んで行った。
閔貢は怪しんで、馬をつなぎ、後から駈けて行った。
「お味方の豪傑が、お迎えにやって来ましたよ」
崔毅の声に、藁の上で眠っていた帝と陳留王は、夢かとばかり狂喜した。そしてなお、閔貢の拝座するすがたを見ると、うれし泣きに抱き合って号泣された。

帝も帝におわさず
王また王に非ず
千乗万騎走るなる
北妄(ほくぼう)の草野、夏(なつ)茫々(ぼうぼう)

――思いあわせればこの夏の初め頃から、洛陽の童女のなかにこんな歌が流行(はや)っていた。天に口なく、無心の童歌をして、今日のことを予言していたものだろうか。
「天下一日も帝なかるべからずです。さあ、一刻も早く、都へご還幸なされませ」
閔貢のことばに、崔毅は、自分の厩(うまや)から、一匹の痩馬(そうば)を曳いてきて、帝に献上した。

閔貢は、自分の馬に、陳留王を乗せて、二騎の口輪をつかみ、門を出て、諸所へ散らかっている兵をよび集めた。

二、三里ほど来ると、
「おお、帝はご無事でおわしたか」
校尉袁紹(えんしょう)が馳せ出会う。
また、司徒王允(おういん)、太尉楊彪(ようひょう)、左軍校尉(さぐんこうい)淳于瓊(じゅんうけい)、右軍の趙萌(ちょうぼう)、同じく後軍校尉(ごぐんこうい)鮑信(ほうしん)などがめいめい数百騎をひきいて来合せ、帝にまみえて、みな哭(な)いた。

「還御を盛んにし、洛陽の市民にも安心させん」
と、段珪の首を、早馬で先へ送り、洛陽の市街に曝(さら)し首として、同時に、帝のご無事と還幸を布告した。
かくて帝の御駕(ぎょが)は、郊外の近くまでさしかかって来た。するとたちまち彼方の丘の陰から旺(さかん)なる兵気馬塵が立ち昇り、一隊の旌旗、天をおおって見えたので、
「や、や?」とばかり、随身の将卒百官、みな色を失って立ちすくんだ。

「敵か?」
「そも、何人(なにびと)の軍ぞ」
帝をはじめ、茫然、疑い怖れているばかりだったが、時に袁紹(えんしょう)あって、行啓の行列の前へ馬をすすめ、
「それへ来るは、何者の軍隊か。帝いま、皇城に還り給う。道をふさぐは不敬ではないか」
と、大喝した。

すると、
「おうっ。吾なり」
と吠えるが如き答が、正面へきた軍の真ん中に轟き聞えた。

千翻(ぽん)の旗、錦繍(きんしゅう)の幡旗(はんき)、さっと隊を開いたかと見れば駿馬は龍爪(りゅうそう)を掻いて、堂々たる鞍上の一偉夫を、袁紹の前へと馳け寄せてきた。

これなん先頃から洛陽郊外の洛陽西方に兵馬を駐(と)めたまま、何進が再三召し呼んでも動かなかった惑星(わくせい)の人――西涼(せいりょう)の刺史(しし)董卓(とうたく)であった。
董卓、字(あざな)は仲穎(ちゅうえい)、隴西臨とう(ろうせいりんとう)の生れである。身長八尺、腰の太さ十囲という。肉脂豊重、眼細く、豺智(さいち)の光り針がごとく人を刺す。

袁紹(えんしょう)が、
「何者だっ」
と、咎めたが、部将などは眼中にないといった態度で、
「天子はいずこに在(おわ)すか」
と、行列の間近まで寄ってくる様子なのだ。帝は、戦慄されて、お答えもなし得ないし、百官も皆、怖れわななき、さすがの袁紹さえも、その容態の立派さに、呆っ気にとられて阻(はば)めもできなかった。

すると、帝の御駕のすぐうしろから、
「ひかえろッ」
涼(すず)やかに叱った者がある。

凜たる音声に、董卓も思わず馬をすこし退いて、
「何。控えろと。――そういう者は誰だっ」と眼をみはった。
「おまえこそ、名をいえ」
こういって馬を前へ出してきたのは、皇弟の陳留王であった。帝よりも年下の紅顔の少年なのである。

「……あっ。皇弟の陳留王でいらっしゃいますな」
董卓も、気がついてあわてて、馬上で礼儀をした。
陳留王は、あくまで頭を高く、
「そうだ。そちは誰だ」
「西涼の刺史董卓です」
「その董卓が、何しに来たか。――聖駕(せいが)をお迎えに参ったのか、それとも奪い取ろうという気で来たか」

「はっ……」
「いずれだ!」
「お迎えに参ったのでござる」
「お迎えに参りながら、天子のこれにましますに、下馬せぬ無礼者があるかっ、なぜ、馬をおりん!」

身なりは小さいが、王の声は実に峻烈であった。威厳に打たれたか、董卓は二言もなく、あわてて馬からとびおりて、道のかたわらに退き、謹んで帝の車駕を拝した。

陳留王は、それを見ると、帝に代って、
「大儀であった」
と、董卓へ言葉を下した。

行啓の行列は難なく、洛陽へさして進んだ。心ひそかに舌を巻いたのは董卓であった。天性備わる陳留王の威風にふかく胆を奪われて、
「これは、今の帝を廃して、陳留王を御位に立てたほうが……?」
と、いう大野望が、早くもこの時、彼の胸には芽を兆(きざ)していた。

呂布(りょふ)

洛陽の余燼(よじん)も、ようやく熄(や)んだ。
帝と皇弟の車駕も、かくて無事に宮門へ還幸になった。

何太后(かたいこう)は、帝を迎えると、
「おお」
と、共に相擁したまま、しばらくは嗚咽(おえつ)にむせんでいた。
そして太后はすぐ、
「玉璽(ぎょくじ)を――」
と、帝のお手にそれを戻そうとして求めたが、いつのまにか紛失していた。

伝国の玉璽が見えなくなったことは漢室として大問題である。だがそれだけに、絶対に秘密にしていたが、いつか洩れたとみえてひそかに聞く者は、
「ああ。またそんな亡兆(ぼうちょう)がありましたか」と、眉をひそめた。
董卓(とうたく)はその後、洛陽西方の兵陣を、すぐ城外まで移してきて、自身は毎日、千騎の鉄兵をひきつれて市街王城をわが物顔に横行していた。

「寄るな」
「咎められるな」

人民は恟々(きょうきょう)と、道をひらいて避けた。
その頃、并州(へいしゅう)の丁原、河内(かだい)の太守王匡(おうきょう)、東郡の喬瑁(きょうぼう)などと諸将がおくればせに先の詔書に依って上洛して来たが、董卓軍の有様を見て皆、なすことを知らなかった。
後軍の校尉鮑信(ほうしん)は、ある時、袁紹(えんしょう)に向ってそっとささやいた。

「どうかしなければいかんでしょう。あいつらの靴音は、内裏(だいり)も街もいっしょくたに濶歩しておる」

「なんのことだ」
「知れきったことでしょう。董卓(とうたく)とその周りの連中ですよ」
「だまっていたまえ」
「なぜです。私は、安からぬ思いがしてなりませんが」
「でも、この頃ようやく、宮廷も少しお静かになりかけたところだからな」

鮑信はまた、同じような憂えを、司徒の王允(おういん)にもらした。けれど司法官たる王允でも、董卓のような大物となるとどうしようもなかった。
網をたずさえた漁夫(りょうし)が、鯨をながめて嘆じるように、
「ううむ。まったくだ。同感だ。だが、どうしようもないじゃないか」
疎髯(そぜん)をつまんで、とがった顎を引っ張りながら、そううそぶくだけだった。

「今となっては、どうしようもない。――」
鮑信は、嫌になって、自分の手勢だけを引具(ひきぐ)し、泰山の閑地へ逃避してしまった。
去る者は去り、媚(こ)ぶる者は媚びて董卓の勢力につき、彼の勢いは日増しに旺(さかん)になるばかりだった。

董卓の性格は、その軍に、彼の態度に、ようやく露骨にあらわれてきた。
「李儒(りじゅ)」
「はい」
「断行しようと思うがどうだろう。もういいだろう」
董卓は、股肱(ここう)の李儒に計った。それは、かねて彼の腹中にあった画策で、現在の天子を廃し、彼の見こんだ陳留王を位につけて、宮廷を私しようという大野望であった。

李儒は、よろしいでしょうと云った。時機は今です、早くおやりなさいともつけ加えた。これも彼に劣らぬ暴逆家だ。しかし董卓は気にいった。

翌日。温明園で大宴会がひらかれた。招きの主人名はいうまでもなく董卓である。ゆえに、その威を怖れて欠席した者はほとんどなかったというてよい。文武の百官はみな集まった。
「みなお揃いになりました」
侍臣から知らせると、董卓は容態をつくろって、轅門(えんもん)の前でゆらりと馬をおり、宝石をちりばめた剣を身に付けて、悠々と席へついた。

美酒玉杯、数巡して、
「今日の宴に列せられた諸公にむかって、予は一言提議したい」
董卓は起って、おもむろにこう発言した。

なにをいうのかと、一同は静まり返った。董卓はその肥満した体をぐっとそらすと、
「予は思う。天子は天稟(てんぴん)の玉質であらねばならぬ。万民の景仰(けいぎょう)をあつめるに足るお方であらねばならぬ。宗廟社稷(そうびょうしゃしょく)を護りかためて揺ぎなき仁徳を兼ね備えておわさねばならぬ。しかるに、不幸にも新帝は薄志懦弱(はくしだじゃく)である。漢室のため、われわれ臣民の常に憂うるところである」

大問題だ。
聞く者みな色を醒(さ)ました。

董卓は、寂(せき)としてしまった百官の頭上を見まわして、左の拳(こぶし)を、剣帯に当てがい、右の手をつよく振った。

「ここにおいて、予はあえていおう。憂うるなかれ諸卿と。幸いにも、皇弟陳留王(ちんりゅうおう)こそは、学を好み、聡明におわし、天質玲瓏(れいろう)、まことに天子の器(うつわ)といってよい。今や天下多事、よろしくこの際ただ今の天子に代うるに、陳留王をもってし、帝座の廃立を決行したいと考えるが、いかがあろうか。異論あるものは立って意見を述べたまえ」

驚くべき大事を、彼は宣言同様に言い出したのである。広い大宴席に咳声(せき)ひとつ聞えなかった。気をのまれた形でもあろう。董卓は、俺に反対する者などあるわけもない――といったように、自信のみちた眼で眺めまわした。
すると、百官の席のうちから、突として誰か立つ音がした。一斉に人々の首は彼のほうを見た。

并州(へいしゅう)の刺史丁原(ていげん)である。
「吾輩は起立した、反対の表示である」
董卓は”くわっ”と睨めて、
「木像を見ようとは思わない。反対なら反対の意見を吐け」
「天子の座は、天子の御意にあるものである。臣下の私議するものではない」
「私議はせん。故におれは公論に糺(ただ)しておるのじゃっ」
「先帝の正統なる御嫡子(おんちゃくし)たる今の帝に、なんの瑕瑾(かきん)やあらん、咎めやあらん。こんな所で、帝位の廃立を議するとは何事だ。おそらく、纂奪(さんだつ)を企む者でなくば、そんな暴言は吐けまい」

皮肉ると、董卓は、
「だまれっ、われに反(そむ)く者は死あるのみだぞ」
繍袍(しゅうほう)の袖をはねて、佩剣(はいけん)の柄に手をかけた。
「なにをする気か」
丁原は、”びく”ともしなかった。

それも道理、彼のうしろには、一個の畏怖同道とした者が儼然と立っていて、
(丁原に指でもさしてみろ)といわんばかり恐ろしい顔していた。

爛々(らんらん)たるその眸(ひとみ)、凜々(りんりん)たる威風、見るからに猛豹(もうひょう)の気がある。
董卓の股肱として、常に秘書のごとく側へついている李儒(りじゅ)は、あわてて主人の袖を引っぱった。

「きょうは折角の御宴(ぎょえん)です。かたくるしい国政向きのことなどは、席を改めて、他日になすっては如何です。とかく酒気のあるところでは、論議はまとまりません」
「……む、うむ」
董卓も、気づいたので、不承不承、剣の柄から手をさげた。しかしどうも、丁原のうしろに立っている男が気になってたまらなかった。

――けれど、董卓の野望は、丁原に反対されたぐらいで、決してしぼみはしなかった。
大饗宴の席は一時、そんなことで白け渡ったが、酒杯の交歓ひとしきりあると、董卓はまた起って、
「最前、予の述べたところ、おそらく諸君の意中であり、天下の公論と思うがどうだろう」
と、重ねて糺(ただ)した。

すると、席にあった中郎将盧植(ろしょく)が、率直に、彼を意見した。
「もうお止めなさい。あまり我意を押しつけようとなさると、天子の廃立に名分をかりて、董公ご自身が、簒奪(さんだつ)の肚(はら)があるのではないかと人が疑います。昔、殷(いん)の太甲(たいこう)無道(むどう)でありしため、伊尹(いいん)これを桐宮(とうきゅう)に放ち、漢の昌邑(しょうゆう)が王位に登って――」

なにか、故事をひいて、学者らしく諫言しかけると、董卓は、
「だまれっ、だまれっ――貴様も血祭りに首を出したいのか」
と激怒して、周囲の武将をかえりみ、
「彼を斬れっ。斬っちまえ。斬らんかっ」と指さし震えた。

けれど、李儒は、押止め、
「いけません」と、いった。

「盧植は海内の学者です。中郎将としてよりも、大儒(たいじゅ)として名が知られています。それを董卓が殺したと天下へ聞えることは、あなたの不徳になります。ご損です」

「では、追っ払えっ」
董卓は、またつづけざまに怒号した。
「官職を引っ剥(ぱ)いでだぞ。――盧植を官に置こうという者はおれの相手だ」
もう、誰も止めなかった。

盧植は、官を逐われた。この日から先、彼は世を見限って、上谷(じょうこく)の閑野(かんや)にかくれてしまった。

それは、さておき、饗宴もこんなふうで、殺伐な散会となってしまった。帝位廃立の議は、またの日にしてと、百官は逃げ腰に閉会の乾杯を強(し)いてあげた。
司徒王允(おういん)などは、真っ先にこそこそ帰った。董卓はなお、丁原の反対に根をもって、轅門(えんもん)に待ちうけて、彼を斬って捨てんと、剣を按じていた。

ところが。
最前から轅門の外に、黒馬に踏みまたがって、手に方天戟(ほうてんげき)をひっさげ、しきりと帰る客を物色したり、門内をうかがったりしている風貌非凡な若者がある。
ちらと、董卓の眼にとまったので、彼は李儒(りじゅ)を呼んで訊ねた。李は外をのぞいて、
「あれですよ、最前、丁原のうしろに突っ立っていた男は」
「あれか。はてな、身なりが違うが」

「武装して出直して来たんでしょう。怖ろしい奴です。丁原の養子で、呂布(りょふ)という人間です。五原郡(ごげんぐん)の生れで、字(あざな)は奉先(ほうせん)、弓馬の達者で天下無双と聞えています。あんな奴にかまったら大事(おおごと)ですよ。避けるに如(し)くはなし。見ぬふりをしているに限ります」

聞いていた董卓は、にわかに恐れを覚え、あわてて園内の一亭へ隠れこんでしまった。
重ね重ね彼は呂布のために丁原を討ち損じたので、呂布の姿を、夢の中にまで大きく見た。どうも忘れ得なかった。

するとその翌日。
こともにわかに、丁原が兵を率いて、董卓の陣を急に襲ってきた。彼は聞くや否や、大いに怒って、たちまち身を鎧い、陣頭へ出て見ていると、たしかに昨日の呂布、黄金の兜(かぶと)をいただき、百花戦袍(かせんぽう)を着、唐猊(からしし)の鎧に、獅蛮(しばん)の宝帯(ほうたい)をかけ、方天戟をさげて、縦横無尽に馬上から斬りまくっている有様に――董卓は敵ながら見とれてしまい、また内心ふかく怖れおののいた。

赤兎馬(せきとば)

その日の戦いは、董卓(とうたく)の大敗に帰してしまった。
呂布(りょふ)の勇猛には、それに当る者もなかった。丁原(ていげん)も、十方に馬を躍らせて、董卓軍を蹴ちらし、大将董卓の姿を乱軍の中に見かけると、
「簒逆(さんぎゃく)の賊、これにありしか」と、馳け迫って、
「漢の天下、内官の弊悪(へいあく)にみだれ、万民みな塗炭の苦しみをうく。しかるに、汝は涼州の一刺史(しし)、国家に一寸の功もなく、ただ乱隙(らんげき)をうかがって、野望を遂げんとし、みだりに帝位の廃立を議するなど、身のほど知らずな逆賊というべきである。いでその素頭(すこうべ)を刎ねて、巷(ちまた)に梟(か)け、洛陽の民の祭に供せん」
と討ってかかった。

董卓は、一言もなく、敵の優勢に怖れ、自身の恥ずる心にひるんで、あわてて味方の楯の内へ逃げこんでしまった。
そんなわけで董卓の軍は、その日、士気のあがらないことおびただしく、董卓も腐りきった態で、遠く陣を退いてしまった。

夜――
本陣の燈下に、彼は諸将を呼んで嘆息した。

「敵の丁原はともかく、養子の呂布がいるうちは勝ち目がない。呂布さえおれの配下にすれば、天下はわが掌(たなごころ)のものだが――」
すると、諸将のうちから、
「将軍。嘆ずるには及びません」と、いった者がある。

人々がかえりみると、虎賁中郎将(こほんちゅうろうしょう)の李粛(りしゅく)であった。
「李粛か。なんの策がある?」
「あります。私に、将軍の愛馬赤兎(せきと)と一嚢(ふくろ)の金銀珠玉をお託しください」
「それをどうするのか」

「幸いにも、私は、呂布と同郷の生れです。彼は勇猛ですが賢才ではありません。以上の二品に、私の持っている三寸不爛(ふらん)の舌をもって、呂布を訪れ、将軍のお望みを、きっとかなえてみせましょう」

「ふむ。成功するかな?」
「まず、おまかせ下さい」

でもまだ迷っている顔つきで、董卓は、側にいる李儒(りじゅ)の意見をきいた。
「どうしよう。李粛はあのように申すが」
すると李儒は、
「天下を得るために、なんで一匹の馬をお惜しみになるんです」と、いった。
「なるほど」

董卓は大きくうなずいて、李粛の献策を容れることにし、秘蔵の名馬赤兎(せきと)と、一嚢(ふくろ)の金銀珠玉とを彼に託した。
赤兎は稀代の名馬で、一日よく千里を走るといわれ、馬体は真っ赤で、風をついて奔馳(ほんち)する時は、その鬣(たてがみ)が炎の流るるように見え、将軍の赤兎といえば、知らない者はないくらいだった。

李粛は、二人の従者にその名馬をひかせ、金銀珠玉をたずさえて、その翌晩、ひそかに呂布の陣営を訪問した。

呂布は彼を見ると、
「やあ、貴公か」と、手を打ってよろこび、「君と予とは、同郷の友だがその後お互いに消息も聞かない。いったい今はどうしているのか」と、帳中へ迎え入れた。
李粛も、久濶(きゅうかつ)を叙(じょ)して、
「自分は漢朝に仕えて、今では虎賁(こほん)中郎将の職を奉じている。君も、社稷(しゃしょく)を扶けて大いに国事に尽していると聞いて、実は今夜、祝いに来たわけだ」と、いった。

その時、呂布はふと耳をそばだてて、李粛へ訊いた。
「今、陣外にいなないたのは、君の乗馬か、啼き声だけでもわかるが、素晴らしい名馬を持っているじゃないか」
「いや、外につないであるのは、自分の乗用ではない。足下(そっか)に進上するために、わざわざ従者に曳かせて来たのだ。気に入るかどうか、見てくれたまえ」と、外へ誘った。

呂布は、赤兎馬(せきとば)を一見すると、
「これは稀代の逸駿だ」と驚嘆して、
「こんな贈り物を受けても、おれはなにも酬いるものがないが」
と、陣中ながら酒宴をもうけて歓待に努める様子は、心の底からよろこんでいるふうだった。

酒、たけなわの頃を計って、
「だが呂布君。折角、君に贈った馬だが、赤兎馬のことは、足下の父がよく知っておるから、必ず君の手からとり上げてしまうだろう。それが残念だな」

李粛がいうと、
「は……何をいうのか、君はだいぶ酔ってきたな」
「どうして」
「吾輩の父は、もう世を去ってこの世に亡(な)い人じゃないか。なんでおれの馬を奪おう」
「いやいや。わしのいうのは足下の実父ではない。養父の丁原(ていげん)のことだ」
「あ。養父のことか」
「思えば、足下ほどな武勇才略を備えながら、墻(かき)の内(うち)の羊みたいに飼われているのは、実に惜しいものだ」

「けれど、父亡き後、久しく丁原の邸に養われてきた身だから、今さら、どうにもならん」
「ならん? ……そうかなあ」
「おれだって、若いし、大いに雄才を伸ばしてみたい気もするが」
「そこだ、呂布君。良禽(りょうきん)は木を選んで棲(す)むという。日月は遷(うつ)りやすし。空しく青春の時を過すのは愚かではないか」
「む、む。……では李君。貴公のみるところでは、今の朝臣の中で、英雄とゆるしてよい人は、一体誰だと思うか」

李粛は一言のもとに、
「それやあ、董卓(とうたく)将軍さ」といった。
「賢を敬い、士に篤く、寛仁徳望を兼備している英傑といえば董卓をおいては、ほかに人物はない。必ずや将来大業をなす人はまずあの将軍だろうな」
「そうかなあ。……やはり」
「足下はどう思う」
「いや、実はこの呂布も、日頃そう考えているが、何しろ丁原と仲が悪いし、それに縁もないので――」

聞きもあえず李粛は、たずさえてきた金銀珠玉をそれに取りだして、
「これこそ、その董卓公から、貴公へ礼物として送られた物だ。実は、予はその使いとして来たわけだ」

「えっ。これを」
「赤兎馬もご自身の愛馬で、一城とも取換えられぬ――といっておられるほど秘蔵していた馬だが、ご辺の武勇を慕って、どうか上げてくれというお言葉じゃ」
「ああ。それまでにこの呂布を愛したまうか。何をもって、おれは知己の篤い志に酬いたらいいのか」

「いや、それはやすいことだ。耳を貸し給え」と、李粛はすり寄った。
陣帳風暗く、夜は更(ふ)けかけていた。兵はみな睡(ねむ)りに落ち、時おり、馴れぬ厩(うまや)につながれた赤兎馬が、静寂(しじま)を破って、蹄(ひづめ)の音をさせているだけだった。

「……よしっ」
呂布は大きくうなずいた。
何事かを、その耳へささやいた李粛は、彼の怪しくかがやく眼を見つめながら、そばを離れて、
「善は急げという。ご決心がついたら直ぐやりたまえ。予は、ここで酒を酌んで、吉左右(きっそう)を待っていよう」と、煽動した。

呂布は、直ちに出て行った。
そして営の中軍へ入って、丁原の幕中をうかがった。

丁原は、燈火(ともしび)をかかげて、書物を見ていたが、何者か入ってきた様子に、
「誰だっ」と、振向いた。
血相の変った呂布が剣を抜いて突っ立っているので、愕然(がくぜん)と立ち、
「呂布ではないか。何事だ、その血相は」
「何事でもない。大丈夫たるものなんで汝がごとき凡爺(ぼんや)の子となって朽(く)ちん」
「ばッ、ばかっ。もう一度いってみい」
「何を」

呂布は、躍りかかるや否や、一刀のもとに、丁原を斬り伏せ、その首を落した。
黒血は燈火を消し、夜は惨として暗澹であった。

呂布は、狂える如く、中軍に立って、
「丁原を斬った。丁原は不仁なるゆえに、これを斬った。志ある者はわれにつけ。不服な者は、我を去れっ」と、大呼して馳けた。
中軍は騒ぎ立った。去る者、従う者、混乱を極めたが、半ばは、ぜひなく呂布についてとどまった。

この騒ぎが揚ると、
「大事成れり」と、李粛は手を打っていた。
やがて直ちに、呂布を伴い、董卓(とうたく)の陣へ帰ってきて、事の次第を報告すると、
「でかしたり李粛」と、董卓のよろこびもまた、非常なものであった。

翌日、特に、呂布のために盛宴をひらいて、董卓自身が出迎えるというほどの歓待ぶりであった。
呂布は、贈られたところの赤兎馬にまたがって来たが、鞍をおりて、
「士はおのれを知る者の為に死すといいます。今、暗きを捨てて明らかなるに仕う日に会い、こんなうれしいことはありません」と、拝跪(はいき)していった。

董卓もまた、
「今、大業の途に、足下のごとき俊猛をわが軍に迎えて、旱苗(かんびょう)に雨を見るような気がする」
と、手をとって、酒宴の席へ迎え入れた。

呂布は、有頂天になった。
しかもまた、黄金の甲(よろい)と錦袍(きんぽう)とをその日の引出物として貰った。恐るべき毒にまわされて、呂布は有頂天に酔った。好漢、惜しむらくは眼前の慾望にくらんで、遂に、青雲の大志を踏み誤ってしまった。
×     ×     ×
呂布は、檻(おり)に入った。
董卓はもう怖ろしい者あるを知らない。その威勢は、旭日のように旺(さかん)だった。

自分は、前将軍を領し、弟の董旻(とうびん)を、左将軍に任じ、呂布を騎都尉(きとい)中郎将の都亭侯(とていこう)に封じた。
思うことができないことはない。

――が、まだ一つ、残っている問題がある。帝位の廃立である。李儒はまた、側にあって、しきりにその実現を彼にすすめた。
「よろしい。今度は断行しよう」
董卓は、省中に大饗宴を催して再び百官を一堂に招いた。

洛陽の都会人は、宴楽が好きである。わけて朝廷の百官は皆、舞楽をたしなみ、酒を愛し、長夜にわたるも辞さない酔客が多かった。
(――今日は、この間の饗宴の時よりも、だいぶ和(なご)やかに浮いているな)
董卓は、大会場の空気を見まわして、そう察していた。

時分は好し――と、
「諸卿!」
彼は、卓から起って、一場の挨拶を試みた。
初めの演舌は、至極、主人側としてのお座なりなものであったから、人々はみな一斉に酒盞(しゅさん)をあげて、
「謝す。謝す」と、声を和し、拍手の音も、しばし鳴りもやまなかった。

董卓は、その沸騰ぶりを、自分への人気と見て、
「さて。――いつぞやは遂に諸公のご明判を仰いで議決するまでに至らなかったが、きょうはこの盛会と吉日の良し悪しを占って、過日、未解決におわった大問題をぜひ一決して、さらに盞(さん)を重ねたいと思うのであるが、諸公のお考えは如何であるか」
と、現皇帝の廃位と陳留王の即位推戴(そくいすいたい)のことを、突然、言いだした。

熱湯が冷(さ)めたように、饗宴の席は、一時に”しん”としてしまった。
「…………」
「…………」
誰も彼も、この重大問題となると唖(おし)のように黙ってしまった。

すると、一つの席から、
「否! 否!」と叫んだ者がある。
中軍の校尉袁紹(えんしょう)であった。
袁紹は、敢然、反対の口火を切っていった。

「借問(しゃもん)する! 董将軍。――あなたは何がために、好んで平地に波瀾を招くか。一度ならず二度までも、現皇帝を廃して、陳留王をして御位にかわらしめんなどと、陰謀めいたことを提議されるのか」

董卓は、剣に手をかけて、
「だまれっ。陰謀とは何か」
「廃帝の議をひそかに計るのが陰謀でなくてなんだ」
袁紹も負けずに怒鳴った。

董卓はまッ青になって、
「いつ密議したか。朝廷の百官を前において自分は信ずるところをいっておるのだ」
「この宴は私席である。朝議を議するならば、なぜ帝の玉座の前で、なお多くの重臣や、太后のご出座をも仰いでせんか」

「えいっ、やかましいっ。私席で嫌なら、汝よりまず去れ」
「去らん。おれは、陰謀の宴に頑張って、誰が賛成するか、監視してやる」
「いったな、貴様はこの董卓の剣は切れないと思っておるのか」
「暴言だっ。――諸君っ、今の声を、なんと聞くか」

「天下の権は、予の自由だ。予の説に不満な輩は、袁紹と共に、席を出て行けっ」
「ああ。妖雷声をなす、天日も真(ま)っ晦(くら)だ」
「世まい言を申しておると、一刀両断だぞ。去れっ、去れっ、異端者め」
「誰がおるか、こんな所に」

袁紹は、身をふるわせながら、席を蹴って飛び出した。
その夜のうち、彼は、官へ辞表を出して、遠く冀州(きしゅう)の地へ奔(はし)ってしまった。

席を蹴って、袁紹が出て行ってしまうと、董卓は、やにわに、客席の一方を強くさして、
「太傅(たいふ)袁隗(えんかい)! 袁隗をこれへ引っ張ってこい」
と、左右の武士に命じた。

袁隗はまッ青な顔をして、董卓の前へ引きずられて来た。彼は、袁紹の伯父にあたる者だった。
「こら、汝の甥(おい)が、予を恥かしめた上、無礼を極めて出て行った態は、その眼でしかと見ていたであろうが。――ここで汝の首を斬ることを予は知っているが、その前に、ひと言訊いてつかわす。この世と冥途(めいど)の辻に立ったと心得て、肚をすえて返答をせい」

「はっ……はいっ」
「汝は、この董卓が宣言した帝位廃立をどう思う? 賛同するか、それとも、甥の奴と同じ考えか」
「尊命の如し――であります」
「尊命の如しとは!」
「あなたのご宣言が正しいと存じます」

「よしっ。しからばその首をつなぎ止めてやろう。ほかの者はどうだ。我すでに大事を宣せり。背(そむ)く者は、軍法をもって問わん」

剣をあげて、雷の如くいった。
並いる百官も、慴伏(しょうふく)して、もう誰ひとり反対をさけぶ者もなかった。
董卓は、かくて、威圧的に百官に宣誓させて、また、
「侍中(じちゅう)周癒(しゅうひ)! 校尉伍瓊(ごけい)! 議郎何ギョウ(かぎょう)! ――」
と、いちいち役名と名を呼びあげて、その起立を見ながら厳命を発した。

「我に背(そむ)いた袁紹(えんしょう)は、必ずや夜のうちに、本国冀州へさして逃げて帰る心にちがいない。彼にも兵力があるから油断はするな。すぐ精兵を率いて追い討ちに打って取れ」

「はっ」
三将のうち、二人は命を奉じて、すぐ去りかけたが、侍中周癒のみは、
「あいや、おそれながら、仰せはご短慮かと存じます。上策とは思われません」
「周癒っ。汝も背く者か」
「いえ、袁紹の首一つをとるために、大乱の生じるのを怖れるからです。彼は平常、恩徳を布き、門下には吏人(やくにん)も多く、国には財があります。袁紹叛旗(はんき)を立てたりと聞えれば、山東の国々ことごとく騒いで、それらが、一時にものをいいますぞ」

「ぜひもない。予に背く者は討つあるのみだ」
「ですが、元来、袁紹という人物は、思慮はあるようでも、決断のない男です。それに天下の大勢を知らず、ただ憤怒に駆られてこの席を出たものの、あれは一種の恐怖です。なんであなたの覇業を妨げるほどな害をなし得ましょうや。むしろ喰らわすに利をもってし、彼を一郡の太守に封じ、そっとしておくに限ります」

「そうかなあ?」
座右をかえりみて呟くと、蔡邑(さいよう)も大きに道理であると、それに賛意を表した。
「では、袁紹を追い討ちにするのは、見あわせとしよう」
「それがいいです、上策と申すものです」

口々からでる讃礼(さんらい)の声を聞くと、董卓はにわかに気が変って、
「使いを立てて、袁紹を渤海郡(ぼっかいぐん)の太守に任命すると伝えろ」
と、厳命を変更した。

その後。
九月朔日(ついたち)のことである。
董卓は、帝を嘉徳殿に請じて、その日、文武の百官に、
――今日出仕せぬ者は、斬首に処せん。
という布告を発した。そして殿上に抜剣して、玉座をも尻目に、
「李儒(りじゅ)、宣文を読め」
と股肱(ここう)の彼にいいつけた。

予定の計画である。李儒は、はっと答えるなり、用意の宣言文をひらいて、
「策文(さくもん)っ――」
と高らかに読み始めた。

孝霊皇帝
眉寿(ビジュ)ノ祚(サイワイ)ヲ究(キワ)メズ
早ク臣子ヲ棄給(ステタマ)ウ
皇帝承(ウ)ケツイデ
海内側望ス
而シテ天資軽佻(ケイチョウ)
威儀ツツシマズシテ慢惰(マンダ)
凶徳スデニアラワレ
神器ヲ損(ソコナ)イ辱(ハズカ)シメ宗廟ケガル
太后(タイコウ)マタ教(オシ)エニ母儀ナク
政治(マツリゴト)統(スベ)テ荒乱
衆論ココニ起ル大革(タイカク)ノ道

李儒は、さらに声を大にして読みつづけていた。
百官の面(おもて)は色を失い、玉座の帝はおおのき慄(ふる)え、嘉徳殿上寂(せき)として墓場のようになってしまった。

すると突然、
「ああ、ああ……」
と、嗚咽(おえつ)して泣く声が流れた。帝の側にいた何太后(かたいこう)であった。
太后は涙にむせぶの余り、ついに椅子から坐りくずれ、帝のすそにすがりついて、
「誰がなんといっても、あなたは漢の皇帝です。うごいてはいけませんよ。玉座から降ってはなりませんよ」
と、いった。

董卓は、剣を片手に、
「今、李儒が読み上げた通り、帝は闇愚(あんぐ)にして威儀なく、太后は教えにくらく母儀の賢(けん)がない。――依って今日より、現帝を弘農王(こうのうおう)とし、何太后は永安宮に押しこめ、代るに陳留王(ちんりゅうおう)をもって、われらの皇帝として奉戴(ほうたい)する」
いいながら、帝を玉座から引き降ろして、その璽綬(じじゅ)を解き、北面して臣下の列の中へ無理に立たせた。

そして、泣き狂う何太后をも、即座にその后衣(こうい)を剥(は)いで、平衣(へいい)とさせ、後列へしりぞけたので、群臣も思わず眼をおおうた。

時に。
ただ一人、大音をあげて、
「待てっ逆臣っ。汝董卓、そも誰から大権をうけて、天を欺(あざむ)き、聖明の天子を、強(し)いてひそかに廃せんとするか。――如(し)かず! 汝と共に刺しちがえて死のう」
いうや否、群臣のうちから騒ぎだして、董卓を目がけて短剣を突きかけてきた者があった。

尚書(しょうしょ)丁管(ていかん)という若い純真な宮内官であった。
董卓は、おどろいて身をかわしながら、醜い声をあげて救けを呼んだ。

刹那――
「うぬっ、何するかっ」
横から跳びついた李儒(りじゅ)が、抜打ちに丁管の首を斬った。同時に、武士らの刃もいちどに丁管の五体に集まり、殿上はこの若い一義人の鮮血で彩られた。

さはあれ、ここに。
董卓は遂にその目的を達し、陳留王を立てて天子の位につけ奉り、百官もまた彼の暴威に怖れて、万歳を唱和した。
そして、新しき皇帝を献帝(けんてい)と申上げることになった。
だが、献帝はまだ年少である。何事も董卓の意のままだった。

即位の式がすむと、董卓は自分を相国(しょうこく)に封じ、楊彪(ようひょう)を司徒とし、黄宛(こうえん)を太尉に、荀爽(じゅんそう)を司空に、韓馥(かんふく)を冀州(きしゅう)の牧に、張資(ちょうし)を南陽の太守に――といったように、地方官の任命も輦下(れんか)の朝臣の登用も、みな自分の腹心をもって当て、自分は相国として、宮中にも靴をはき、剣を身に付けて、その肥大した体躯をそらしてわが物顔に殿上に横行していた。

同時に。
年号も初平(しょへい)元年と改められた。

春園走獣(しゅんえんそうじゅう)

まだ若い廃帝は、明け暮れ泣いてばかりいる母の何太后(かたいこう)と共に、永安宮の幽居に深く閉じこめられたまま、春をむなしく、月にも花にも、ただ悲しみを誘わるるばかりだった。

董卓(とうたく)は、そこの衛兵に、
「監視を怠るな」と厳命しておいた。

見張りの衛兵は、春の日永(ひなが)を、あくびしていたが、ふと幽楼(ゆうろう)の上から、哀しげな詩(うた)の声が聞えてきたので、聞くともなく耳を澄ましていると、

春は来ぬ
けむる嫩草(わかくさ)に
梟々(じょうじょう)たり
双燕は飛ぶ
ながむれば都の水
遠く一すじ青し
碧雲(へきうん)深きところ
これみなわが旧宮殿
堤上(ていじょう)、義人はなきや
忠と義とによって
誰か、晴らさん
わが心中の怨みを――

衛兵は、聞くと、その詩を覚え書にかいて、
「相国(しょうこく)。廃帝の弘農王が、こんな詩を作って歌っていました」
と、密告した。董卓は、それを見ると、
「李儒(りじゅ)はいないか」
と呼び立てた。そして、その詩を李儒に示して、
「これを見ろ、幽宮におりながら、こんな悲歌を作っている。生かしておいては必ずや後の害になろう。何太后も廃帝も、おまえの処分にまかせる。殺して来い」と、いいつけた。

「承知しました」
李儒はもとより暴獣の爪のような男だ。情けもあらばこそ、すぐ十人ばかりの屈強な兵を連れて、永安宮へ馳せつけた。

「どこにおるか、王は」
彼はずかずか楼上へ登って行った。その時々に弘農王と何太后とは、楼の上で春の憂いに沈んでおられ、突然、李儒のすがたを見たのでぎょっとした様子だった。

李儒は笑って、
「なにもびっくりなさる事はありません。この春日を慰め奉れ、と相国から酒をお贈り申しにきたのです。これは延寿酒といって、百歳の齢(よわい)を延ぶる美酒です。さあ一盞(さん)おあがりなさい」

携えてきた一壺の酒を取り出して杯を強(し)いると、廃帝は、眉をひそめて、
「それは毒酒であろう」と、涙をたたえた。

太后も顔を振って、
「相国(しょうこく)がわたし達へ、延寿酒を贈られるわけはない。李儒、これが毒酒でないなら、そなたがまず先に飲んでお見せなさい」といった。

李儒は、眼を怒らして、
「なに、飲まぬと。――それならば、この二品をお受けなさるか」
と、練絹(ねりぎぬ)の縄と短刀とを、突きつけた。

「……おお。我に死ねとか」
「いずれでも好きなほうを選ぶがよい」
李儒は冷然と毒づいた。
弘農王は、涙の中に、

ああ、天道は易(かわ)れり
人の道もあらじ
万乗(ばんじょう)の位(くらい)をすてて
われ何ぞ安からん
臣に迫られて命(めい)はせまる
ただ潸々(さんさん)、涙あるのみ

と、悲歌をうたってそれへ泣きもだえた。
太后は、”はった”と李儒を睨めつけて、
「国賊! 匹夫(ひっぷ)! おまえ達の滅亡も、決して長い先ではありませぬぞ。――ああ兄の何進(かしん)が愚かなため、こんな獣どもを都へ呼び入れてしまったのだ」
罵(ののし)り狂うのを、李儒はやかましいとばかり、その襟がみをつかみ寄せて、高楼の欄から投げ落してしまった。

「どうしたか」
董卓は美酒を飲みながら、李儒の吉左右(きっそう)を待っていた。
やがて李儒は、袍(ほう)を血まみれに汚して戻ってきたが、いきなり提げていた二つの首を突きだして、
「相国(しょうこく)、ご命令通り致してきました」と、いった。

弘農王の首と、何太后の首であった。
二つとも首は眼をふさいでいたが、その眼がかっと開いて、今にも飛びつきそうに、董卓には見えた。

さすがに眉をひそめて、
「そんな物、見せんでもいい。城外へ埋めてしまえ」
それから彼は、日夜、大酒をあおって、禁中の宮内官といい、後宮の女官といい、気に入らぬ者は立ちどころに殺し、夜は天子の床(しょう)に横たわって春眠をむさぼった。

或る日。
彼は陽城を出て、四頭立てのロバ車(ろしゃ)に美人を大勢のせ、酔うた彼は、馭者(ぎょしゃ)の真似をしながら、城外の梅林の花ざかりをあちこち歩いていた。
ところが、ちょうど村社の祭日だったので、なにも知らない農民の男女が晴れ着を飾って帰ってきた。

董相国(とうしょうこく)は、それを見かけ、
「農民のくせに、この晴日を、田へも出ずに、着飾って歩くなど、不届きな怠け者だ。天下の百姓の見せしめに召捕えろ」と、ロバ車の上で、急に怒りだした。

突然、相国の従兵に追われて、若い男女は悲鳴をあげて逃げ散った。そのうち逃げ遅れた者を兵が拉(らっ)して来ると、
「牛裂(うしざ)きにしろ」
と、相国は威猛高(いたけだか)に命じた。

手脚に縄を縛りつけて、二頭の奔牛(ほんぎゅう)にしばりつけ、東西へ向けて鞭打つのである。手脚を裂かれた人間の血は、梅園の大地を紅(くれない)に汚した。

「いや、花見よりも、よほど面白かった」
ロバ車は黄昏(たそがれ)に陽城へ向って帰還しかけた。
するとある巷(ちまた)の角から、
「逆賊ッ」と、喚(おめ)いて、不意にロバ車へ飛びついて来た漢(おとこ)がある。
美姫たちは、悲鳴をあげ、ロバは狂い合って、端(はし)なくも、大混乱をよび起した。

「何するか、下司(げす)っ」
肥大な体躯の持主である相国は、身うごきは敏速を欠くが、力はおそろしく強かった。
精悍(せいかん)な刺客の男は、ロバ車へ足を踏みかけて、短剣を引抜き、相国の大きな腹を目がけて勢いよく突ッかけて行ったのであったが、董相国にその剣を叩き落され、しっかと、抱きすくめられてしまったので、どうすることもできなかった。

「曲者(しれもの)め。誰に頼まれた」
「残念だ」
「名を申せ」
「…………」
「誰か、叛逆を企む奴らの与党だろう。さあ、誰に頼まれたか」
すると、苦しげに、刺客はさけんだ。

「叛逆とは、臣下が君にそむくことだ。おれは貴様などの臣下であった覚えはない。――おれは朝廷の臣、越騎校尉の伍俘(ごふ)だっ」

「斬れッ、こいつを」
ロバ車から蹴落すとともに、董卓の武士たちは伍俘の全身に無数の刃と槍を加えて、塩辛(しおから)のようにしてしまった。
×     ×     ×
都を落ちて、遠く渤海郡(ぼっかいぐん)の太守に封じられた袁紹(えんしょう)はその後、洛陽の情勢を聞くにつけ、鬱勃(うつぼつ)としていたが、遂に矢も楯もたまらなくなって、在京の同志で三公の重職にある司徒王允(おういん)へ、ひそかに書を飛ばし、激越な辞句で奮起を促してきた。
だが、王允は、その書簡を手にしてからも、日夜心で苦しむだけで、董相国を討つ計はなにも持たなかった。

日々、朝廷に上がって、政務にたずさわっていても、王允(おういん)はそんなわけで、少しも勤めに気がのらなかった。心中ひとり怏々(おうおう)と悶(もだ)えを抱いていた。

ところがある日、董相国の息のかかった高官は誰も見えず、皆、前朝廷の旧臣ばかりが一室にいあわせたので、(これぞ、天の与え)とひそかによろこんで、急に座中へ向って誘いかけた。

「実は、今日は、此方の誕生日なのじゃが、どうでしょう、竹裏館(ちくりかん)の別業(べつぎょう)のほうへ、諸卿お揃いで駕(が)を曲げてくれませんか」

「ぜひ伺って、公の寿(ことぶき)を祝しましょう」
誰も、差支えをいわなかった。

董卓系の人間をのぞいて、水入らずに話したい気持が、期せずして、誰にも鬱していたからであった。
別業の竹裏館へ、王允は先へ帰ってひそかに宴席の支度をしていた。やがて宵から忍びやかに前朝廷の公卿たちが集まった。

時を得ぬ不遇な人々の密会なので、初めからなんとなく、座中はしめっぽい。その上にまた、酒のすすみだした頃、王允は、冷たい杯を見入って、ほろりと涙をこぼした。

見とがめた客の一人が、
「王公。せっかく、およろこびの誕生の宴だというのに、なんで落涙されるのですか」といった。
王允は、長大息をして、
「されば、自分の福寿も、今日の有様では、祝う気持にもなれんのじゃ。――不肖、前朝以来、三公の一座を占め、政(まつりごと)にあずかりなから、董卓の勢いはどうすることもできんのじゃ。耳に万民の怨嗟(えんさ)を聞き、眼に漢室の衰亡を見ながら、なんでわが寿筵(じゅえん)に酔えようか」
といって、指で瞼(まぶた)を拭った。

聞くと一座の者も皆、
「ああ――」と、大息して、「こんな世に生れ合わせなければよかった。昔、漢の高祖三尺の剣をひっさげて白蛇を斬り、天下を鎮め給うてより王統ここに四百年、なんぞはからん、この末世に生れ合わせようとは」

「まったく、われわれの運も悪いものだ。こんな時勢に巡り合ったのは」
「――というて、少し大きな声でもして、董相国やその一類の誹謗(ひぼう)をなせば、この首の無事は保(たも)てないし」
などと各々、涙やら愚痴やらこぼして燭(しょく)もめいるばかりであったが、その時、末座のほうから突然、
「わはははは。あはッはははは」
手を叩いて、誰か笑う者があった。公卿たちは、びっくりして、末席を振返った。見るとそこに若年の一朝臣が、独りで杯をあげ、白面に紅潮をみなぎらせて、人々が泣いたり愚痴るのを、さっきからおかしげに眺めていた。

王允は、その無礼をとがめ、
「誰かと思えば、そちは校尉曹操(そうそう)ではないか。なんで笑うか」
すると、曹操はなお笑って、
「いや、すみません。しかしこれが笑わずにおられましょうか。朝廷の諸大臣たる方々が、夜は泣いて暁に至り、昼は悲しんで暮れに及び、寄るとさわると泣いてばかりいらっしゃる。これでは天下万民もみな泣き暮しになるわけですな。おまけに、誕生祝いというのに、わさわさ集まって、また泣き上戸の泣き競べとは――。わはははは。失礼ですが、どうもおかしくって、笑いが止まりませんよ。あははは、あははは」

「やかましいっ。汝はそもそも、相国曹参(そうさん)が後胤(こういん)で、四百年来、代々漢室の大恩をうけて来ながら、今の朝廷の有様が、悲しくないのか。われわれの憂いが、そんなにおかしいのか。返答によってはゆるさんぞ」

「これは意外なお怒りを――」と、曹操はやや真面目に改まって、
「それがしとて何も理のないことを笑ったわけではありません。時の大臣(おとど)ともあろう方々が、女童(おんなわらべ)の如く、日夜めそめそ悲嘆しておらるるのみで董卓(とうたく)を誅伏(ちゅうふく)する計(はかりごと)といったら何もありはしない。――そんな意気地なしなら、時勢を慨嘆したりなどせずに、美人の腰掛けになって胡弓でも聴きながら感涙を流していたらよかろうに――と思ったのでつい笑ってしまった次第です」
と臆面もなくいった。

曹操の皮肉に王允(おういん)をはじめ公卿たちもむっと色をなして、座は白け渡ったが、
「しからば何か、そちはそのような広言を吐くからには、董卓を殺す計でもあるというのか。その自信があっての大言か」

王允が再び急(せ)きこんでなじったので、人々は、彼の返答いかにと、固唾(かたず)をのんで、曹操の白い面に眸(ひとみ)をあつめた。

「なくてどうしましょう!」
毅然として彼は眉をあげ、
「不才ながら小生におまかしあれば、董卓が首を斬って、洛陽の門に梟(か)けてごらんに入れん」
と明言した。

王允は、彼の自信ありげな言葉に、かえって喜色をあらわし、
「曹校尉、もし今の言に偽りがないならば、まことに天が義人を地上にくだして、万民の苦しみを助け給うものだ。そも、君にいかなる計やある。願わくば聞かしてもらいたいが」

「されば、それがしが常に董相国に近づいて、表面、媚(こ)びへつらって仕えているのは、何を隠そう、隙もあれば彼をひと思いに刺し殺そうと内心誓っているからです」

「えっ。……では君には疾(と)くよりそれまでの決心を持っていたのか」
「さもなくて、何の大笑大言を諸卿に呈しましょう」
「ああ、天下になおこの義人あったか」

王允はことごとく感じて、人々もまたほっと喜色をみなぎらした。
すると曹操は、「時に、王公に小生から、一つのご無心がありますが」と言い出した。

「何か、遠慮なくいうてみい」
「ほかではありませんが、王家には昔より七宝をちりばめた稀代の名刀が伝来されておる由、常々、承っておりますが、董卓を刺すために、願わくばその名刀を、小生にお貸し下さいませんか」

「それは、目的さえ必ず仕遂げてくれるならば……」
「その儀は、きっとやりのけて見せます。董相国も近頃では、それがしを寵愛(ちょうあい)して、まったく腹心の者同様にみていますから、近づいて一断に斬殺することは、なんの造作もありません」

「うむ。それさえ首尾よく参るものなら、天下の大幸というべきだ。なんで家宝の名刀一つをそのために惜しもうや」
と、王允はすぐ家臣に命じて、秘蔵の七宝剣を取りだし、手ずからそれを曹操に授け、かつ言った。

「しかし、もし仕損じて、事顕(あらわ)れたら一大事だぞ、充分心して行(おこな)えよ」
「乞う、安(やす)んじて下さい」
曹操は剣を受け、その夜の酒宴も終ったので、颯爽として帰途についた。七宝の利剣は燦として夜光の珠の帯の如く、彼の腰間にかがやいていた。

白面郎(はくめんろう)「曹操(そうそう)」

曹操(そうそう)はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采(ねんしふうさい)はなお、白面の一青年でしかない。

年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中紛乱、時局多事の中を、よく失脚もせず、いよいよその地歩を占めて、新旧勢力の大官中に伍し、いつのまにか若年ながら錚々(そうそう)たる朝臣の一員となっているところ、早くも凡物でない圭角(けいかく)は現れていた。

竹裏館の秘密会で、王允(おういん)もいったとおり、彼の家柄は、元来名門であって、高祖覇業を立てて以来の――漢の丞相(じょうしょう)曹参(そうさん)が末孫(ばっそん)だといわれている。

生れは沛国ショウ郡(はいこくしょうぐん)の産であるが、その父曹嵩(そうすう)は、宮内官たりし職を辞して、早くから野に下り、今では陳留(ちんりゅう)に住んでいて、老齢だがなお健在であった。

その父曹嵩も、
「この子は鳳眼(ほうがん)だ」
といって、幼少の時から、大勢の子のうちでも、特に曹操を可愛がっていた。
鳳眼というのは鳳凰(ほうおう)の眼のように細くてしかも光があるという意味であった。

少年の頃になると、色は白く、髪は漆黒(しっこく)で、丹唇明眸(たんしんめいぼう)、中肉の美少年ではあり、しかも学舎の教師も、里人も、「恐(こわ)いようなお児(こ)だ」と、その鬼才に怖れた。

こんなこともあった。
少年の曹操は、学問など一を聞いて十を知るで、書物などにかじりついている日はちっとも見えない。游猟(ゆうりょう)が好きで弓を持って獣(けもの)を追ったり、早熟で不良を集めて村娘を誘拐(かどわか)したり、そんなことばかりやっていた。

「困った奴だ」
叔父なる人が、将来を案じて、彼の父へひそかに忠告した。

「あまり可愛がり過ぎるからいけない。親の目には、子の良い才ばかり見えて、奸才(かんさい)は見えないからな」

父の曹嵩も、ちらちら良くないことを耳にしていた折なので、早速曹操を呼びつけて、厳しく叱り、一晩中お談義を聞かせた。
翌る日、叔父がやって来た。
すると曹操は、ふいに門前に卒倒して、癲癇(てんかん)の発作に襲われたみたいな苦悶をした。

仮病とは知らず、正直な叔父は驚きあわてて奥の父親へ告げた。
父の曹嵩も、可愛い曹操のことなので、顔色を変えて飛びだして来た。――ところが曹操は門前に遊んでいて、いつもと何も変わったところは見えない。
「曹操、曹操」
「なんです、お父さん」

「なんともないのか。今、叔父御が駆けこんで来て、お前が癲癇(てんかん)を起してひッくり返っている、大変だぞ、直ぐ行ってみろ、といわれて仰天して見にきたのだが」
「ヘエ……。どうしてそんな嘘ッぱちを叔父さんは知らせたんでしょう。私はこの通り何でもありませんのに」
「変な人だな」

「まったく、叔父さんは変な人ですよ。嘘をいって、人が驚いたり困ったりするのを見るのが趣味らしいんです。村の人もいっていますね。――坊っちゃんは、あの叔父さんに何か憎まれてやしませんかッて。なんでも、わたしの事を放蕩息子だの、困り者だの、また癲癇持ちだのって、方々へ行って、しゃべりちらしているらしいんですよ」

曹操は、”けろり”とした顔で、そういった。彼の父は、そのことがあってからというもの、何事があっても、叔父の言葉は信じなくなってしまった。
「甘いもンだな。親父は」
曹操はいい気になって、いよいよ機謀縦横に悪戯(わるさ)をしたり、放埓(ほうらつ)な日を送って育った。

二十歳まで、これという職業にもつかず、家産はあるし、名門の子だし、叔父の予言どおり困り息子で通ってきた曹操だった。
しかし、人の憎みも多いかわり、一面任侠の風(ふう)もあるので、
「気の利(き)いた人だ」
とか、また、
「曹操は話せるよ。いざという時は頼みになるからね」
と、彼を取り巻く一種の人気といったようなものもあった。

そういう友達の中でも、橋玄(きょうげん)とか、何ギョウ(かぎょう)とかいう人々は、むしろ彼の縦横な策略の才を異(い)なりとして、
「今に、天下は乱れるだろう。一朝、乱麻となったが最後、これを収拾するのは、よほどな人物でなければできん。或いは後に、天下を安んずべき人間は、ああいったふうな漢(おとこ)かも知れんな」
と、青年たちの集まった場所で、真面目にいったこともある。

その橋玄が、ある折、曹操へ向っていった。
「君は、まだ無名だが、僕は君を有為の青年と見ているのだ。折があったら、許子将(きょししょう)という人と交わるがいい」

「子将とは、どんな人物かね」
曹操が問うと、
「非常に人物の鑑識に長(た)けている。学者でもあるし」
「つまり人相観(み)だね」
「あんないい加減なものじゃない。もっと炯眼(けいがん)な人物批評家だよ」
「おもしろい。一度訪うてみよう」

曹操は一日、その許子将を訪れた。座中、弟子や客らしいのが大勢いた。曹操は名乗って、彼の忌憚(きたん)ない「曹操評」を聞かしてもらおうと思ったが、子将は、冷たい眼で一眄(べん)したのみで、卑(いや)しんでろくに答えてくれない。
「ふふん……」
曹操も、持前の皮肉がつい鼻先へ出て、こう揶揄(やゆ)した。

「――先生、池の魚は毎度鑑(み)ておいでらしいが、まだ大海の巨鯨は、この部屋で鑑たことがありませんね」
すると、許子将は、学究らしい薄べったくて、黒ずんだ唇から、抜けた歯をあらわして、
「豎子(じゅし)、何をいう! お前なんぞは、治世の能臣、乱世の姦雄(かんゆう)だ」
と、初めて答えた。

聞くと、曹操は、
「乱世の姦雄だと。――結構だ」
彼は、満足して去った。

間もなく。
年二十で、初めて北都尉(ほくとい)の職についた。
任は皇宮の警吏である。彼は就任早々、掟(おきて)を厳守し、犯す者は高官でも、ビシビシ罰した。時めく十常侍の蹇碩(けんせき)の身寄りの者でも、禁を破って、夜、帯刀で禁門の附近を歩いていたというので、曹操に棒で殴りつけられたことがあったりした程である。

「あの弱冠(じゃっかん)の警吏は、犯すと仮借(かしゃく)しないぞ」
彼の名はかえって高まった。

わずかな間に、騎都尉に昇進し、そして黄巾賊の乱が地方に起ると共に、征討軍に編入され、潁川(えいせん)その他の地方に転戦して、いつも紅の旗、紅の鞍、紅の鎧という人目立つ備え立てで征野を疾駆していたことは、かつて、張梁、張宝の賊軍を潁川(えいせん)の草原に火攻めにした折、――そこで行き会った劉玄徳(りゅうげんとく)とその旗下(きか)の関羽、張飛たちも、
(そも、何者?)
と、目を見はったことのあるとおりである。

そうした彼。
そうした人となりの驍騎(ぎょうき)校尉曹操であった。
王允(おういん)の家に伝わる七宝の名刀を譲りうけて、董相国(とうしょうこく)を刺すと誓って帰った曹操は、その夜、剣を抱いて床に横たわり、果たしてどんな夢を描いていたろうか。

その翌日である。
曹操は、いつものように丞相府(じょうしょうふ)へ出仕した。
「相国はどちらにおいでか」
と、小役人に訊ねると、
「ただ今、小閣へ入られて、書院でご休息になっている」
とのことなので、彼は直ちにそこへ行って、挨拶をした。董相国は、床の上に身を投げだして、茶をのんでいる様子。側には、そびえ立つように、呂布(りょふ)が侍立していた。

「出仕が遅いじゃないか」
曹操の顔を見るや否や、董卓はそういって咎めた。
実際、陽はすでに三竿(さんかん)、丞相府の各庁でも、みなひと仕事すまして午(ひる)の休息をしている時分だった。

「恐れいります。なにぶん、私の持ち馬は痩せおとろえた老馬で道が遅いものですから」
「良い馬を持たぬのか」
「はい。薄給の身ですから、良馬は望んでもなかなか購(あがな)えません」

「呂布」と、董卓は振り向いて、
「わしの厩(うまや)から、どれか手ごろなのを一頭選んできて、曹操につかわせ」
「はっ」
呂布は、閣の外へ出て行った。

曹操は、彼が去ったので、
――しめた!
と、心は躍りはやったが、董卓とても、武勇はあり大力の持主である。
(仕損じては――)
となお、大事をとって、彼の隙(すき)をうかがっていると、董卓はひどく肥満しているので、少し長くその体を床に正していると、すぐくたびれてしまうらしい。

ごろりと、背を向けて、床の板張りの上へ横になった。
(今だ! 天の与え)
曹操は、心にさけびながら、七宝剣の柄に手をかけ、さっと抜くなり刃を背へまわして、床の板張りの下へ近づきかけた。

すると、名刀の光鋩(こうぼう)が、董卓の側なる壁の鏡に、陽炎(かげろう)の如くピカリと映った。

むくりと、起き上がって、
「曹操、今の光は何だ?」
と、鋭い眼をそそいだ。

曹操は、刃を納めるいとまもなく、ぎょッとしたが、さあらぬ顔して、
「はっ、近頃それがしが、稀代の名刀を手に入れましたので、お気に召したら、献上したいと思って、持って参りました。尊覧に入れる前に、そっと拭っておりましたので、その光鋩が室にみちたのでございましょう」
と騒ぐ色もなく、剣を差出した。

「ふうむ。……どれ見せい」
手に取って見ているところへ、呂布が戻ってきた。

董卓は、気に入ったらしく、
「なるほど、名剣だ。どうだこの刀は」
と、呂布へ見せた。

曹操は、すかさず、
「鞘(さや)はこれです。七宝の篏飾(かんしょく)、なんと見事ではありませんか」
と、呂布のほうへ、鞘をも渡した。

呂布は無言のまま、刃(やいば)を鞘におさめて手に預かった。そして、
「馬を見たまえ」と促すと、曹操は、
「はっ、有難く拝領いたします」
と、急いで庭上へ出て、呂布がひいて来た駿馬の鬣(たてがみ)をなでながら、
「あ。これは逸物(いちもつ)らしい。願わくば相国の御前(おんまえ)で、ひと当て試し乗りに乗ってみたいものですな」
という言葉に、董卓もつい、図に乗せられて、
「よかろう。試してみい」
とゆるすと、曹操はハッとばかり鞍へ飛び移り、にわかにひと鞭あてるや否や、丞相府の門外へ馳けだして、それなり帰ってこなかった。

「まだ戻らんか」
董卓は、不審を起して、
「試し乗りだといいながら、いったい何処まで馳けて行ったのだ――曹操のやつは」
と、何度も呟いた。

呂布は初めて、口を開いた。
「丞相、彼はおそらく、もう此処に帰りますまい」
「どうして?」
「最前、あなたへ名刀を献じた時の挙動からして、どうも腑(ふ)に落ちない点があります」
「む。あの時の彼奴の素振りは、わしも少し変だと思ったが」
「お馬を賜わり、これ幸いと、風を喰らって逃げ去ったのかも知れませんぞ」
「――とすれば、捨ておけん曲者(くせもの)だが。李儒(りじゅ)を呼べ。とにかく、李儒を!」
と、急に甲高くいって、巨きな躯を牀からおろした。

李儒は来て、つぶさに仔細を聞くと、
「それは、しまったことをした。豹(ひょう)を檻(おり)から出したも同じです。彼の妻子は都の外にありますから、てッきり相国のお命を狙っていたに違いありません」

「憎ッくい奴め。李儒、どうしたものだろう」
「一刻も早く、お召しといって、彼の住居へ人をやってごらんなさい。二心なければ参りましょうが、おそらくもうその家にもおりますまい」

念のためと、直ちに、使い番の兵六、七騎をやってみたが、果たして李儒の言葉どおりであった。
そしてなお、使い番から告げることには――
「つい今しがた、その曹操は、黄毛の駿馬にまたがって、飛ぶが如く東門を乗打ちして行ったので、番兵がまた馬でそれを追いかけ、ようやく城外へ出る関門でとらえて詰問したところ、曹操がいうには――我は丞相の急命を帯びてにわかに使いに立つなり。汝ら、我をはばめて大事の急用を遅滞さすからには、後に董相国よりいかなるお咎めがあらんも知れぬぞ――とのことなので、誰も疑う者なく、曹操はそのまま鞭(むち)を上げて関門を越え、行方のほども相知れぬ由にござります」
とのことであった。

「さてこそ」と、董卓は、怒気のみなぎった顔に、朱をそそいで言った。
「小才のきく奴と、日頃、恩をほどこして、目をかけてやった予の寵愛につけ上がり、予にそむくとは八ツ裂きにしても飽きたらん匹夫だ。李儒っ――」

「はっ」
「彼の人相服装を画かせ、諸国へ写しを配布して、厳重に布令をまわせ」
「承知しました」
「もし、曹操を生擒(いけど)ってきた者あらば、万戸侯(ばんここう)に封じ、その首を丞相府に献じくる者には、千金の賞を与えるであろうと」
「すぐ手配しましょう」

李儒が退がりかけると、
「待て。それから」と早口に、董卓はなお、言葉をつけ加えた。

「この細工は、思うに、白面郎の曹操一人だけの仕事ではなかろう。きっとほかにも、同謀の与類があるに相違ない」

「もちろんでしょう」
「なおもって、重大事だ。曹操への手配や追手にばかり気を取られずに一方、都下の与類を虱(しらみ)つぶしに詮議して、引っ捕えたら拷問にかけろ」
「はっ、その辺も、抜かりなく急速に手を廻しましょう」

李儒は大股に去って、捕囚庁(ほしゅうちょう)の吏人(やくにん)を呼びあつめ、物々しい活動の指令を発していった。

変更箇所等

屠(ほふ)った — 狩った
云い -- 言う
折ふし -- その時々。ちょうどその時。
左(さ)はいえ -- そうは言っても
憚る(はばかる) -- 気兼ねする。遠慮する
鼎座(ていざ) -- 向かい合って座る
檄(げき) -- 自分の意見を述べて、公衆に呼びかける。決起をうながす文書。
衷情(ちゅうじょう) -- まごころ。誠意。
曳い -- 引いていく。
頒(わか)ちあう -- 分かち合う
倉皇(そうこう) -- どうしたらよいか、判らない
鄭重(ていちょう) -- 丁寧な様子
嶮(けん) -- 山が険しい
虱(しらみ)のごとく -- シラミの如く。隙間も無いぐらいに密集している
挺身(ていしん) -- 自分から進んで身を投げ出して物事をすること
紊だし(みだし) -- 乱す
おめきながら -- 大声で
豎子(じゅし) -- 未熟な者。青二才。
轡(くつわ) -- 馬具の一種。【凱旋の轡をならべる→戦闘の門出を祝う】
駒 -- 馬
鬨(とき)の声 -- 合図の声
趁(お)う -- 追う
蔽(おお)った — 覆った

拱(く)む -- 組む

惨澹(さんたん) -- いたましく、見るに忍びないほどであるさま。
首馘(き)る -- 敵を討ち果たした証拠。耳や首を討ち果たした証拠として残すこと。
賢慮(けんりょ) -- 懸命な考え

眸(ひとみ) — 瞳
奸(かん) -- 邪悪。よこしまな心
人墻(ひとがき) -- 人垣

脾肉(ひにく) -- 皮肉
偉丈夫(きじょうぶ) -- 逸材。優れた人

鬢(びん) -- 頭の左右側面の髪
逍遥(しょうよう) -- あちこちをぶらぶら歩くこと。散歩
病褥(びょうじょく) --病床。病気の人が寝ている床部分。
暗澹(あんたん) -- 見通しが立たず、希望が持てないさま
頽廃(はいたい) -- 退廃

臍(ほぞ)を噛む --へそを噛む。自分のへそを噛もうとしても口に届かないが、それでも噛もうとするほど残念でいらいらしていることからの喩え。

元兇(げんきょう) -- 元凶
諫(いさ)めた -- その過ちや悪い点を指摘し、改めるように忠告する
悍馬(かんば) -- 暴れ馬。あらぽい性質の馬
鹵簿(ろぼ) -- 行幸(行啓)のときの行列
やんぬる哉(かな) -- 今となっては、どうしようもない。

卜(ぼく)して -- 良し悪しを判断して、占う
枉(ま)げ -- 曲げる
牀 -- 床
屹(きっ)と -- そびえ立つように

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