三国志 (2)

流行る童歌(はやるどうか)

驢(ロバ)は、北へ向いて歩いた。
鞍上の馬元義は、ときどき南を振り向いて、
「奴らはまだ追いついてこないがどうしたのだろう」と、つぶやいた。

彼の半月槍をかついで、ロバの後からついてゆく手下の甘洪(かんこう)は、
「どこかで道を取っ違えたのかも知れませんぜ。いずれ冀州(きしゅう)へ行けば落ち合いましょうが」と、いった。

いずれ賊の仲間のことをいっているのであろう――と劉備(りゅうび)は察した。とすれば、自分がのがれてきた黄河の水村を襲ったあの連中を待っているのかも知れない、と思った。
(何しろ、従順を装おっているようにすれば間違いはない。そのうちには、逃げる機会があるだろう)

劉備は、賊の荷物を負って、黙々と、ロバと半月槍のあいだに挟まれながら歩いた。丘陵と河と平原ばかりの道を、四日も歩きつづけた。
幸い雨のない日が続いた。十方、遥か遠くも、一朶(だ)の雲もない秋だった。キビのひょろ長い穂に、時折、ロバも人の背丈(せたけ)も、つつまれる。

「ああ――」
旅に飽きて、馬元義は大きなあくびを見せたりした。甘も気(け)だるそうに居眠り半分、足だけを動かしていた。

そんな時、劉備はふと、
――今だっ。
という衝動にかられて、幾度か剣に手をやろうとしたが、もし仕損じたらと、母を想い、身の大望を考えて、じっと辛抱していた。

「おう、甘洪」
「へえ」
「飯が食えるぞ。冷たい水にありつけるぞ――見ろ、むこうに寺があら」
「寺が」
キビの間から伸び上がって、
「ありがてえ。大方(だいほう)、きっと酒もありますぜ。坊主は酒が好きですからね」
夜は冷え渡るが、昼間は焦げつくばかりな炎熱であった。――水と聞くと、劉備も思わず伸び上がった。

低い丘陵が彼方に見える。
丘陵に抱かれている一叢(ひとむら)の木立と沼があった。沼には紅白の蓮花(はちす)がいっぱい咲いていた。

そこの石橋を渡って、荒れはてた寺門の前で、馬元義はロバをおりた。門の扉は、一枚はこわれ、一枚は形だけ残っていた。それに黄色の紙が貼ってあって、次のような文が書いてあった。

蒼天已死(そうてんすでにしす)
黄夫当レ立(こうふまさにたつべし)
歳在二甲子一(としこうしにありて)
天下大吉(てんかだいきち)

大賢良師張角(だいけんりょうしちょうかく)

「大方ご覧なさい。ここにもわが党の盟符(めいふ)が貼ってありまさ。この寺も黄巾の仲間に入っている奴ですぜ」
「誰かいるか」
「ところが、いくら呼んでも誰も出てきませんが」
「もう一度、どなってみろ」
「おうい、誰かいねえのか」

――薄暗い堂の中を、どなりながら覗いてみた。何もない堂の真ん中に、曲碌(きょくろく)に腰かけている骨と皮ばかりな老僧がいた。しかし老僧は眠っているのか、死んでいるのか、木乃伊(ミイラ)のように、空虚(うつろ)な眼を梁(うつばり)へ向けたまま、寂然(じゃくねん)と――答えもしない。

「やい、老いぼれ」
甘洪(かんこう)は、半月槍の柄で、老僧の脛(すね)をなぐった。
老僧は、やっとにぶい眼をあいて、眼の前にいる甘と、馬元義と、劉(りゅう)青年を見まわした。

「食物があるだろう。おれたちはここで腹支度をするのだ、はやく支度をしろ」
「……ない」

老僧は、蝋(ろう)のような青白い顔を、力なく振った。

「ない? ――これだけの寺に食物がないはずはねえ。俺たちをなんだと思う。頭髪(あたま)の黄巾(きれ)を見ろ。大賢良師張角様の方将(ほうしょう)、馬元義というものだ。家探しして、もし食物があったら、素ッ首をはね落すがいいか」

「……どうぞ」
老僧は、うなずいた。
馬は甘をかえりみて、
「本当に無いのかもしれねえな。あまり落着いていやがる」
すると老僧は、曲碌(きょくろく)にかけていた枯木のような肘(ひじ)を上げて、後ろの祭壇や、壁や四方をいちいちさして、
「ない! ない! ない! ……仏陀の像さえない! 一物もここにはないっ」と、いった。

泣くがような声である。
そしてにぶい眸(ひとみ)に、怨みの光をこめて、また言った。
「みんな、お前方の仲間が持って行ってしまったのだ。イナゴの群れが通ったあとの田みたいだよここは……」
「でも、何かあるだろう。何か喰える物が」
「ない」
「じゃあ、冷たい水でも汲んでこい」
「井戸には、毒が投げこんである。飲めば死ぬ」
「誰がそんなことをした」

「それも、黄巾(こうきん)をつけたお前方の仲間だ。前の地頭(じとう)と戦った時、残党が隠れぬようにと、みな毒を投げこんで行った」

「しからば、泉があるだろう。あんな美麗な蓮花(はちす)が咲いている池があるのだから、どこぞに、冷水が湧(わ)いているにちがいない」

「――あの蓮花が、なんで美しかろう。わしの眼には、紅蓮(ぐれん)も白蓮(びゃくれん)も、無数の民の幽魂(ゆうこん)に見えてならない。一花、一花呪(のろ)い、恨み、哭(な)き戦(おのの)きふるえているような」

「こいつめが、妙な世まい言(ごと)を……」
「嘘と思うなら池をのぞいてみるがよい。紅蓮の下にも、白蓮の根元にも、腐爛(ふらん)した人間の死骸がいっぱいだよ。お前方の仲間に殺された善良な農民や女子供の死骸だの、また、黄巾の党に入らないので、絞め殺された地頭やら、その夫人(おくさん)やら、戦って死んだ役人衆やら――何百という死骸がのう」

「あたり前だ。大賢良師張角様に反(そむ)くやつらは、みな天罰でそうなるのだ」
「…………」
「いや。よけいなことは、どうでもいい。食べ物もなく水もなく、一体それでは、てめえは何を喰って生きているのか」
「わしの喰ってる物なら」と、老僧は、自分の靴のまわりを指さした。

「……そこらにある」

馬元義は、何気なく、床を見まわした。根を噛(か)んだ生草だの、虫の足だの、ネズミの骨などが散らかっていた。
「こいつは参った。ご饗応(きょうおう)はおあずけとしておこう。おい劉(りゅう)、甘洪(かんこう)、行こうぜ」
と出て行きかけた。

すると、その時はじめて、賊の供をしている劉備の存在に気づいた老僧は、穴のあくほど、劉青年の顔を見つめていたが、突然、
「あっ?」と、打たれたような愕(おどろ)きを声に放って、僧が用いる椅子から突っ立った。

老僧の落ちくぼんでいる眼は大きく驚異(きょうい)にみはったまま劉備(りゅうび)の面(おもて)をじいと見すえたきり、眼(ま)ばたきもしなかった。

やがて、独りで、うーむと唸(うな)っていたが、なに思ったか、
「あ、あ! あなただっ」
膝を折って、床に坐り、あたかも現世の文殊(もんじゅ)弥勒(みろく)でも見たように、何度も礼拝して止まなかった。

劉備は、迷惑がって、
「老僧、何をなさいます」と、手を取った。
老僧は、彼の手にふれると、なおさら、随喜(ずいき)の涙を流さぬばかりふるえて、額に押しいただきながら、
「青年。――わしは長いこと待っていたよ。まさしく、わしの待っていたのはあなただ。――あなたこそ魔魅跳梁(まみちょうりょう)を退けて、暗黒の国に楽土を創(た)て、乱麻(らんま)の世に道を示し、塗炭(とたん)の底から大民を救ってくれるお方にちがいない」と、いった。

「とんでもない。私は出身のタクケンから迷ってきた貧しい蓆売(むしろう)りです。老僧はなしてください」
「いいや、あなたの人相骨がらに現われておるよ。青年、聞かしておくれ。あなたの祖先は、帝系の流れか、王侯の血をひいていたろう」
「ちがう」
劉備は、首を振って、「父も、祖父も、楼桑村の百姓でした」
「もっと先は……」
「わかりません」
「分らなければ、わしの言を信じたがよい。あなたが腰につけている剣は誰にもらったのか」
「亡父(ちち)の遺物(かたみ)」

「もっと前から、家におありじゃったろう。古びて見る面影もないがそれは凡人(ただびと)の身につける剣ではない。碧玉(へきぎょく)の珠(たま)がついていたはず、戛玉(かつぎょく)とよぶ珠だよ。剣帯(けんたい)に革か錦(にしき)の腰帛(ようはく)もついていたのだよ。王者の佩(はい)とそれを呼ぶ。何しろ、刀身(なかみ)も無双(むそう)な名剣にまちがいない。試してみたことがおありかの」

「……?」

堂の外へ先に出たが、後から劉備が出てこないので、足を止めていた賊の馬元義と甘洪は、老僧のぶつぶついっている言葉を、聞きすましながら振向いていた。が、――しびれをきらして、
「やいっ劉。いつまで何をしているんだ。荷物を持って早くこいっ」と、どなった。

老僧は、まだ何か、言い続けていたが、馬の大声に恟(すく)んで、急に口をつぐんだ。劉備はその機(しお)に、堂の外へ出てきた。

ロバをつないでいる以前の門を踏みだすと、馬元義は、ロバの手綱をときかける手下の甘を止めて、
「劉、そこへ掛けろ」と、木の根を指さし、自分も石段に腰かけて、大きく構えた。

「今、聞いていると、てめえは行く末、偉い者になる人相を備えているそうだな。まさか、王侯や将軍になれっこはあるめえが、俺も実は、てめえは見込みのある野郎だと見ているんだ――どうだ、俺の部下になって、黄巾党の仲間へ加盟しないか」

「はい。有難うございますが」と、劉備はあくまで、素直(すなお)をよそおって、
「私には、故郷(くに)に一人の母がいますので、せっかくですが、お仲間には入れません」
「おふくろなぞは、あってもいいじゃねえか。喰い扶持(ぶち)さえ送ってやれば」

「けれど、こうして、私が旅に出ている間も、痩せるほど子の心配ばかりしている、至って子煩悩(こぼんのう)な母ですから」
「そりゃそうだろう。貧乏ばかりさせておくからだ。黄巾党に入って、腹さえふくらせておけば、なに、小さな子供じゃあるめえし、子の心配などしているものか」

馬元義は、功名に燃えやすい青年の心をそそるように、それから黄巾党の勢力やら、世の中の将来やらを、談義しはじめた。

「狭い目で見ている奴は、俺たちが良民いじめばかりしていると思っているが、俺たちの総大将張角(ちょうかく)様を、神の如く崇(あが)めている地方だってかなりある――」
と、前提(まえおき)して、まず、黄巾党の起りから説きだすのだった。
今から十年ほど前。
鉅鹿郡(きょろくぐん)の人で、張角という無名の士があった。

張角はしかし稀世(きせい)の秀才と、郷土でいわれていた。その張角が、あるとき、山中へ薬をとりに入って、道で異相の道士(どうし)に出会った。道士は手に藜(あかざ)の杖をもち、
(お前を待っていること久しかった)と、差し招くので、ついて行ってみると、白雲の裡(うち)の洞窟へ誘(いざな)い、張角に三巻の書物を授けて、(これは、太平要術という書物である。この書をよく体して、天下の塗炭(とたん)を救い、道を興し、善を施すがよい。もし自身の我意栄耀(がいえいよう)に酔うて、悪心を起す時は、天罰たちどころに身を亡ぼすであろう)と、いった。

張角は、再拝して、翁(おきな)の名を問うと、
(我は南華老仙なり(なんかろうせんなり))と答え、姿は、一颯(さつ)の白雲となって飛去ってしまったというのである。

張角は、そのことを、山を降りてから、里の人々へ自分から話した。
正直な、里の人々は、(わしらの郷土の秀才に、神仙が宿った)と真(ま)にうけて、たちまち張角を、救世の方師(ほうし)と崇(あが)めて、触れまわった。

張角は、門を閉ざし、道衣(どうい)を着て、潔斎(けっさい)をし、常に南華老仙の書を帯びて、昼夜行いすましていたが、或る年悪疫(あくえき)が流行して、村にも毎日おびただしい死人が出たので、
(今は、神が我をして、出でよと命じ給う日である)
と、おごそかに、草門(そうもん)を開いて、病人を救いに出たが、その時もう、彼の門前には、五百人の者が、弟子にしてくれといって、一箇所に集まり、お願いしていたということである。

五百人の弟子は、彼の命に依って、金仙丹(きんせんたん)、銀仙丹(ぎんせんたん)、赤神丹(せきしんたん)の秘薬をたずさえ、おのおの、悪疫の地を見て廻った。そして、張角方師の功徳(くどく)を語り聞かせ、男子には金仙丹を、女子には銀仙丹を、幼児には赤神丹を与えると、神薬の効き目はいちじるしく、皆、数日を出でずして癒(なお)った。

それでも、癒らぬ者は、張角自身が行って、大喝(だいかつ)の呪(じゅ)を唱え、病魔を家から追うと称して、符水(ふすい)の法を施した。それで起きない病人はほとんどなかった。

体の病人ばかりでなく、次には心に病のある者も集まってきて、張角の前に懺悔(ざんげ)した。貧者も来た。富者も来た。美人も来た。力士や武術者も来た。それらの人々は皆、張角の付近に参じたり、厨房(ちゅうぼう)で働いたり、彼のそば近く侍(じ)したり、また多くの弟子の中に交じって、弟子となったことを誇ったりした。

たちまち、諸州にわたって、彼の勢力はひろまった。
張角は、その弟子たちを、三十六の方を立たせ、階級を作り、大小に分かち、頭立つ者には軍帥(ぐんすい)の称を許し、また方帥の称呼を授けた。

大方(だいほう)を行う者、一万余人。小方を行う者六、七千人。その部の内に、部将あり方兵(ほうへい)あり、そして張角の兄弟、張梁(ちょうりょう)、張宝のふたりを、天公将軍(てんこうしょうぐん)、地公将軍(ちこうしょうぐん)とよばせて、最大の権威をにぎらせ、自身はその上に君臨して、大賢良師(だいけんりょうし)張角(ちょうかく)と、称(とな)えていた。

これがそもそもの、黄巾党の起りだとある。初め張角が、常に、結髪を黄色い巾(きれ)でつつんでいたので、その風(ふう)が全軍にひろまって、いつか党員の徽章(きしょう)となったものである。

また、黄巾軍の徒党は、全軍の旗もすべて黄色を用い、その大旆(おおはた)には、

蒼天已死(そうてんすでにしす)
黄夫当レ立(こうふまさにたつべし)
歳在二甲子一(としこうしにありて)
天下大吉(てんかだいきち)

という宣文を書き、党の楽謡部は、その宣文に、童歌風のやさしい作曲をつけて、党兵に唄わせ、部落や村々の地方から郡、県、市、都へと熱病のようにうたい流行(はや)らせた。

大賢良師張角!
大賢良師張角!

今は、三歳の児童も、その名を知らぬはなく、
(――蒼天スデニ死ス。黄夫マサニ立ツベシ)
と唄った後では、張角の名を囃(はや)して、今にも、天上の楽園が地上に実現するような感を民衆に抱かせた。

けれど、黄巾党が思うままのさばるほど、楽土(らくど)はおろか、一日の安穏(あんのん)も土民の中にはなかった。
張角は自己の勢力に服従してくる愚民どもへは、
(太平を楽しめ)と、逸楽(いつらく)を許し、
(わが世を謳歌せよ)と、暗(あん)に掠奪を奨励した。
その代りに、逆(さか)らう者は、仮借(かしゃく)なく罰し、人間を殺し、財宝を掠(かす)めとることが、党の日課だった。

地頭(じとう)や地方の官吏も、防ぎようはなく、中央の洛陽(らくよう)の王城へ、急を告げることもひんぴんであったが、現下、漢帝の宮中は、頽廃(たいはい)と内争で乱脈をきわめていて、地方へ兵をやるどころではなかった。

天下一統の大業を完成して、後漢の代を興した光武帝から、今は二百余年を経、宮府の内外にはまた、ようやく腐爛(ふらん)と崩壊(ほうかい)の兆(ちょう)があらわれてきた。
十一代の帝、桓帝(かんてい)が逝(ゆ)いて、十二代の帝位についた霊帝は、まだ十二、三歳の幼少であるし、輔佐の重臣は、幼帝をあざむき合い、朝廷を乱だしたり、佞智(ねいち)の者が勢いを得て、真実のある人材は、みな野に追われてしまうという状態であった。

心ある者は、ひそかに、
(どうなり行く世か?)と、憂えているところへ、地方に蜂起(ほうき)した黄巾賊の口々から、
――蒼天已死(そうてんすでにしす)
の童歌が流行ってきて、後漢の末世を暗示する声は、洛陽(らくよう)の城下にまで、満ちていた。
そうした折にまた、こんなこともひどく人心を不安にさせた。

ある年。
幼帝が温徳殿(うんとくでん)に出御なされると、にわかに、狂風がふいて、長(たけ)二丈余の青蛇が、梁(はり)から帝の椅子のそばに落ちてきた。帝はきゃっと、床に仆(たお)れて気を失われてしまった。殿中の騒動はいうまでもなく、弓箭(きゅうせん)や鳳尾槍(ほうびそう)をもった禁門の武士がかけつけて、青蛇を刺止(しと)めんとしたところが、突如、雹(ひょう)まじりの大風が王城をゆるがして、青蛇は雲となって飛び、その日から三日三夜、大雨は底のぬけるほど降りつづいて、洛陽の民家の浸水(みずつ)くもの二万戸、崩壊したもの千何百戸、溺死怪我人算なし――というような大災害を生じた。

また、つい近年には。
赤色の彗星(すいせい)が現れたり、風もない真昼、黒旋風(こくせんぷう)が突然ふいて、王城の屋根望楼を飛ばしたり、五原山(げんざん)の山つなみに、部落数十が、一夜に地底へ埋没してしまったり――凶兆ばかり年ごとに起った。

そんな凶兆のあるたびに、黄巾賊の「蒼天スデニ死ス――」の歌は、盲目的にうたわれて行き、賊党に加盟して、掠奪、横行、殺戮(さつりく)――の自由にできる「我党の太平を楽しめ」とする者が、ふえるばかりだった。
思想の悪化、組織の混乱、道徳の頽廃(たいはい)。――これをどうしようもない後漢の末期だった。

燎原(りょうげん)の火とばかり、魔の手をひろげて行った黄巾賊の勢力は、今では青州(せいしゅう)、幽州(ゆうしゅう)、徐州(じょしゅう)、冀州(きしゅう)、荊州(けいしゅう)、揚州(ようしゅう)、エン州、予州(よしゅう)等の諸地方に及んでいた。

州の諸侯をはじめ、郡県市部の長(おさ)や官吏は、逃げ散るもあり、降(くだ)って賊となるもあり、屍(かばね)を積んで、焚(や)き殺された者も数知れなかった。

富豪は皆、財を捧げて、生命を乞い、寺院や民家は戸ごとに、大賢良師張角――と書いた例の黄符(こうふ)を門(かど)に貼って、絶対服従を誓い、まるで鬼神をまつるように、崇(あが)め恐れた。そうした現状にあった。

さて。……
長々と、そうした現状や、黄巾党の勃興(ぼっこう)などを、自慢そうに語りきたって、
「劉(りゅう)――」と、大方(だいほう)馬元義(ばげんぎ)は、腰かけている石段から、寺の門を、顎(あご)でさした。

「そこでも、黄色い貼紙を見たろう。書いてある文句も読んだろう。この地方もずっと、俺たち黄巾党の勢力範囲なのだ」
「…………」
劉備は、終始黙然と聞いているのみだった。
「いや、この地方や、十州や二十州はおろかなこと、今に天下は黄巾党のものになる。後漢の代は亡び、次の新しい代になる」

劉備は、そこで初めて、こう訊ねた。
「では、張角良師は、後漢を亡ぼした後で、自分が帝位につく肚(はら)なんですか」
「いやいや。張角良師には、そんなお考えはない」
「では、誰が、次の帝王になるのでしょう」
「それはいえない。……だが劉備、てめえが俺の部下になると約束するなら聞かせてやるが」
「なりましょう」
「きっとか」
「母が許せばです」
「――では打明けてやるが、帝王の問題は、今の漢帝を亡ぼしてから後の重大な評議になるんだ。匈奴(きょうど)(蒙古族(もうこぞく))のほうとも相談しなければならないから」

「へえ? ……なぜです。どうして支那の帝王を決めるのに、昔から秦(しん)や趙(ちょう)や燕(えん)などの国境(さかい)を侵して、われわれ漢民族を脅(おびや)かしてきた異国の匈奴などと相談する必要があるのですか」

「それは大いにあるさ」と、馬は当然のように――
「いくら俺たちが暴れ廻ろうたって、俺たちの背後(うしろ)から、軍費や兵器をどしどし廻してくれる黒幕がなくっちゃ、こんな短い年月に、後漢の天下を攪乱(かくらん)することはできまいじゃねえか」

「えっ。では黄巾賊のうしろには、異国の匈奴がついているわけですか」
「だから絶対に、俺たちは敗(ま)けるはずはないさ。どうだ劉、俺がすすめるのは、貴様の出世のためだ。部下になれ、すぐここで、黄巾賊に加盟せぬか」

「結構なお話です。母も聞いたら歓(よろこ)びましょう。……けれど、親子の中にも礼儀ですから、一応、母にも告げた上でご返辞を……」
云いかけているのに、馬元義は不意に起ち上がって、
「やっ、来たな」と、彼方の平原へ向って、眉に手をかざした。

白芙蓉(びゃくふよう)

それは約五十名ほどの賊の小隊であった。中にロバに乗っている二、三の賊将が鉄鞭(てつべん)を指して、何かいっていたように見えたが、やがて、馬元義の姿を見かけたか、寺のほうへ向って、一散に近づいてきた。

「やあ、李朱氾(りしゅはん)。遅かったじゃないか」
こなたの馬元義も、石段から伸び上がっていうと、
「おう大方(だいほう)、これにいたか」と、李と呼ばれた男も、そのほかの仲間も、つづいてロバの鞍から降りながら、
「峠の孔子廟(こうしびょう)で待っているというから、あれへ行った所、姿が見えないので、俺たちこそ、大まごつきだ。遅いどころじゃない」と、汗をふきふき、かえって馬元義に向って、不平を並べたが、同類の冗談半分とみえて、責められた馬元義のほうも、げらげら笑うのみだった。

「ところで、ゆうべの収穫(みいり)はどうだな。洛陽船を的(あて)に、だいぶ諸方の商人(あきんど)が泊っていた筈だが」
「大していう程の収穫もなかったが、一村焼き払っただけの物はあった。その財物は皆、荷駄にして、例の通りわれわれの営倉へ送っておいたが」

「近頃は人民どもも、金は埋(い)けて隠しておく方法をおぼえたり、商人なども、隊伍を組んで、俺たちが襲うまえに、うまく逃げ散ってしまうので、だんだん以前のようにうまいわけには行かなくなったなあ」

「ウム、そういえば、先夜も一人惜しいやつを取逃がしたよ」
「惜しい奴? ――それは何か高価な財宝でも持っていたのか」

「なあに、砂金や宝石じゃないが、洛陽船から、茶を交易した男があるんだ。知っての通り、盟主張角様には、茶ときては、眼のない好物。これはぜひ掠(かす)めとって、大賢良師(だいけんりょうし)へご献納もうそうと、そいつの泊った旅籠(はたご)も目ぼしをつけておき、その近所から焼き払って踏みこんだところ、いつの間にか、逃げ失せてしまって、とうとう見つからない。――こいつあ近頃の失策だったよ」

賊の李朱氾(りしゅはん)は、劉備のすぐそばで、それを大声で話しているのだった。

劉備は、驚いた。
そして思わず、懐中(ふところ)に秘していた錫(すず)の小さい茶壺(ちゃつぼ)をそっとさわってみた。

すると、馬元義は、
「ふーむ」と、うめきながら、改めて後ろにいる劉青年を振向いてから、さらに、李へ向って、
「それは、幾歳(いくつ)ぐらいな男か」
「そうさな。俺も見たわけでないが、嗅(か)ぎつけた部下のはなしによると、まだ若いみすぼらしい風態(ふうてい)の男だが、どこか凛然(りんぜん)としているから、油断のならない人間かも知れないといっていたが」
「じゃあ、この男ではないのか」
馬元義は、すぐ傍らにいる劉備を指さして、いった。
「え?」
李は、意外な顔をしたが、馬元義から仔細(しさい)を聞くとにわかに怪しみ疑って、
「そいつかもしれない。――おういっ、丁峰(ていほう)、丁峰」
と、池畔に屯(たむろ)させてある部下の群れへ向ってどなった。

手下の丁峰は、呼ばれて、屯の中から馳けてきた。李は、黄河で茶を交易した若者は、この男ではないかと、劉の顔を指さして、質問した。

丁は、劉青年を見ると、惑うこともなくすぐ答えた。
「あ。この男です。この若い男に違いありません」
「よし」
李は、そういって、丁峰を退けると、馬元義と共に、いきなり劉備の両手を左右からねじあげた。

「こら、貴様は茶をかくしているというじゃないか。その茶壺をこれへ出してしまえ」
馬元義も責め、李朱氾(りしゅはん)も共に、劉備のきき腕を、ねじ抑えながら脅(おど)した。

「出さぬと、ぶった斬るぞ。今もいった通り、張角良師のご好物だが、良師のご威勢でさえ、めったに手にはいらぬ程の物だ。貴様のような下民(げみん)などが、茶を持ったところで、何となるものか。われわれの手を経て、良師へ献納してしまえ」

劉備は、云いのがれのきかないことを、はやくも観念した。しかし、故郷(くに)の母が、いかにそれを楽しみに待っているかを思うと、自分の生命(いのち)を求められたより辛かった。
(何とか、ここをのがれる工夫はないものか)

となお、未練をもって、両手の痛みをこらえていると、李朱氾の靴は、気早に劉備の腰を蹴とばして、「唖(おし)か、つんぼか、おのれは」と、罵(ののし)った。

そして、よろめく劉備の襟がみを、つかみもどして、
「あれに、血に飢えている五十の部下がこちらを見て、餌(え)を欲しがっているのが、眼に見えないか。返辞をしろ」と、威猛高(いたけだか)にいった。

劉備は二人の土足の前へ、そうしてひれ伏したまま、まだ、母の歓びを売って、この場を助かる気持になれないでいたが、ふと、眼を上げると、寺門の陰にたたずんで、こちらを覗いていた最前の老僧が、
(物など惜しむことはない。求める物は、何でも与えてしまえ、与えてしまえ)
と、手真似をもって、しきりと彼の善処をうながしている。

劉備もすぐ、(そうだ。この身体を傷つけたら、母にも大不孝となる)と思って、心をきめたが、それでもまだ懐中(ふところ)の茶壺は出さなかった。腰に身につけている剣の帯革を解いて、
「これこそは、父の遺物(かたみ)ですから、自分の生命(いのち)の次の物ですが、これを献上します。ですから、茶だけは見のがして下さい」と哀願した。

すると、馬元義は、
「おう、その剣は、俺がさっきから眼をつけていたのだ。貰っておいてやる」と奪(と)り上げて、「茶のことは、俺は知らん」と、空うそぶいた。

李朱氾(りしゅはん)は、前にもまして怒りだして、一方へ剣を渡して、俺になぜ茶壺を渡さないかと責めた。
劉備は、やむなく、肌深く持っていた錫(すず)の小壺まで出してしまった。李は、宝珠(ほうしゅ)をえたように、両掌(りょうて)を捧げて、
「これだ、これだ。洛陽の銘葉(めいよう)に違いない。さだめし良師がおよろこびになるだろう」と、いった。

賊の小隊はすぐ先へ出発する予定らしかったが、ひとりの物見が来て、ここから十里ほどの先の河べりに、県の吏軍が約五百ほど野陣を張り、われわれを捜索しているらしいという報告をもたらした。で、にわかに、「では、今夜はここへ泊れ」となって、約五十の黄巾賊は、そのまま寺を宿舎にして、携帯の糧嚢(りょうのう)を解きはじめた。

夕方の炊事の混雑をうかがって、劉備は今こそ逃げるによい機(しお)と、薄暮の門を、そっと外へ踏みだしかけた。
「おい。どこへ行く」
賊の哨兵(しょうへい)は、見つけるとたちまち、大勢して彼を包囲し、奥にいる馬元義と李朱氾へすぐ知らせた。

劉備は縛(いまし)められて、斎堂(さいどう)の丸柱にくくりつけられた。
そこは床に瓦を敷き詰め、太い丸柱と、小さい窓しかない石室だった。

「やい劉。貴様は、おれの眼をかすめて、逃げようとしたそうだな。察するところ、てめえは官の密偵だろう。いいや違えねえ。きっと県軍のまわし者だ。――今夜、十里ほど先まで、県軍がきて野陣を張っているそうだから、それへ連絡を取るために、脱け出そうとしたのだろう」

馬元義と李朱氾は、かわるがわるに来て、彼を拷問(ごうもん)した。
「――道理で、貴様の面がまえは、凡者(ただもの)でないはずだ。県軍のまわし者でなければ、洛陽の直属の隠密か。いずれにしても、官人だろうてめえは。――さ、泥を吐け。いわねば、痛い思いをするだけだぞ」

しまいには、馬と李と、二人がかりで、劉を蹴って罵(ののし)った。
劉は一口も物をいわなかった。こうなったからには、天命にまかせようと観念しているふうだった。

「こりゃひと筋縄では口をあかんぞ」
李は、持てあまし気味に、馬(ば)へ向ってこう提議した。
「いずれ明日の早暁、俺はここを出発して、張角良師の総督府へ参り、例の茶壺を献上かたがた良師のご機嫌伺いに出るつもりだが、その折、こいつも引っ立てて行って、大方軍本部の軍法会議にさし廻してみたらどうだろう。思いがけない拾いものになるかもしれぬぜ」
よかろうと、馬も同意だ。

斎堂の扉は、かたく閉められてしまった。夜が更けると、ただ一つの高い窓から、今夜も銀河の秋天が冴えて見える。けれどとうてい、そこからのがれ出る工夫はない。
どこかで、馬のいななきがする。官の県軍が攻めてきたのならよいが――と劉備は、望みをつないだが、それは物見から帰ってきた二、三の賊兵らしく、後は寂(せき)として、物音もなかった。

「母へ孝養を努めようとして、かえって大不孝の子となってしまった。死ぬる身は惜しくもないが、老母の余生を悲しませ、不孝の屍(むくろ)を野にさらすのは悲しいことだ」

劉備は、星を仰いで嘆(なげ)いた。そして、孝行するにも、身に不相応な望みを持ったのが悪かったと悔いた。
賊府へひかれて、人中で生恥さらして殺されるよりは、いっそ、ここで、ひと思いに死なんか――と考えた。

死ぬにも、身に剣はなかった。柱に頭を打ちつけて憤死するか。舌を噛んで星夜を睨(にら)みながら呪死(じゅし)せんか。
劉備は、悶々と、迷った。
――すると彼の眸(ひとみ)の前に一筋の縄が下がってきた。それは神の意志によって下がってくるように、高い切窓の口から石の壁に伝わってスルスルと垂れてきたのである。

「……あ?」
人影も何も見えない、ただ四角な星空があるだけだった。
劉備は、身を起しかけた。しかしすぐ無益であることを知った。身は縛(いまし)めにかかっている、この縄目の解けない以上、救い手がそこまで来ていても、すがりつく術(すべ)はない。

「……ああ、誰だろう?」

誰か、窓の下へ、救いに来ている。外で自分を待っていてくれる者がある。劉備は、なおさらもがいた。
と、――彼の行動が遅いので、早くしろとうながすように、外の者は焦(じ)れているのであろう。高窓から垂れている縄が左右に動いた。そして縄の端に結(ゆ)いつけてあった短剣が、白い魚のように、コトコトと瓦(かわら)の床(ゆか)を打って躍った。

足の先で、短剣を寄せた。そしてようやく、それを手にして、自身の縄目を断ち切ると、劉備は、窓の下に立った。
(早く。早く)といわんばかりに、無言の縄は外から意志を伝えて、ゆれうごいている。

劉備は、それにつかまった。石壁に足をかけて、窓から外を見た。
「……オオ」
外にたたずんでいたのは、昼間、ただひとりで曲碌(きょくろく)に腰かけていたあの老僧だ。骨と皮ばかりのような彼の細い影であった。
「――今だよ」
その手がさしまねく。
劉備はすぐ地上へ跳びおりた。待っていた老僧は、彼の身を抱えるようにして、物もいわず馳けだした。
寺の裏に、疎林(そりん)があった。樹の間の細道さえ、銀河の秋はほの明るい。

「老僧、老僧。いったいどっちへ逃げるんですか」
「まだ、逃げるのじゃない」
「では、どうするんです」
「あの塔(とう)まで行ってもらうのじゃよ」
走りながら、老僧は指さした。

見るとなるほど、疎林の奥に、疎林の梢(こずえ)よりも、高くそびえている古い塔がある。老僧は、あわただしく古塔の扉(と)をひらいて中へ隠れた。そしてあんなに急いだのに、なかなか出てこなかった。

「どうしたのだろう?」
劉備は気を揉んでいる。そして賊兵が追ってきはしまいかと、あちこち見まわしているとやがて、
「青年、青年」
小声で呼びながら、塔の中から老僧は何かひきながら出てきた。

「おや?」
劉備は眼をみはった。老僧が引っぱっているのは駒の手綱だった。銀毛のように美しい白馬がひかれだしたのである。
いや、いや、白馬の毛並の見事さや、背の鞍の華麗などはまだいうも愚(おろ)かであった。その駒に続いて、後ろから歩みも嫋(たおや)かに、世間の風にも怖れるもののように、楚々(そそ)と姿をあらわした美人がある。眉(まゆ)の麗しさ、耳の白さ、また、眼にふくむ愁(うれ)いの悩ましいばかりなど、思いがけぬ場合ではあり、星夜の光に見るせいか、この世の人とも思えぬのであった。

「青年。わしがお前を助けて上げたことを、恩としてくれるなら、逃げるついでに、このお嬢(じょう)さまを連れて、ここから十里ほど北へ向った所の河べりに陣している県軍の隊まで、届けて上げてくれぬか。わずか十里じゃ、この白馬に鞭打てば――」

老僧のことばに、劉備は、否(いな)やもなく、はいと答えるべきであるが、その任務よりも、届ける人のあまりに美し過ぎるので、なんとなくためらわれた。
老僧は、彼のためらいを、どう解釈したか。

「そうだ、氏素性(うじすじょう)も知れない婦人をと、疑ぐっておるのじゃろうが、心配するな。このお方は、つい先頃までの、この地方県城を預かっておられた領主のお嬢(じょう)さまじゃ。黄巾賊の乱入にあって、県城は焼かれ、ご領主は殺され、家来は四散し、ここらの寺院さえ、あの通りに成り果てたが、その乱軍の中から迷うてござったお嬢さまを、実はわしが、ここの塔へそっと匿(かくも)うて――」
と、老僧の眼がふと、古塔の頂(いただき)を見上げた時、疎林を渡る秋風の外に、にわかに、人の足音や馬のいななきが聞えだした。

劉備(りゅうび)が、眼をくばると、
「いや、動かぬがよい。しばらくは、かえってここに、じっとしていたほうが……」
と、老僧が彼の袖をとらえ、そんな危急の中になお、語りつづけた。
県の城長の娘は、名を芙蓉(ふよう)といい姓は鴻(こう)ということ。また、今夜近くの河畔にきて宿陣している県軍は、きっと先に四散した城長の家臣が、残兵を集めて、黄巾賊へ報復を計っているに違いないということ。

だから、芙蓉の身を、そこまで届けてくれさえすれば、後は以前の家来たちが守護してくれる――白馬の背へ二人してのって、抜け道から一気に逃げのびて行くように――と、祷(いの)るようにいうのだった。
「承知しました」
劉備は、勇気を示して答えた。

「けれど和上(わじょう)、あなたはどうしますか」
「わしかの」
「そうです。私たちを逃がしたと賊に知られたら、和上の身は、ただでは済まないでしょう」

「案じることはない。生きていたとて、このさき幾年生きていられよう。ましてこの十数日は、草の根や虫など食うて、露命をつないでいたはかない身じゃ。それも鴻家(こうけ)の阿嬢(おむすめ)を助けて上げたい一心だけで生きていたが――今は、そのことも、頼む者に頼み果てたし、あなたという者をこの世に見出したので、思い残りは少しもない」

老僧はそう云い終ると、風の如く、塔の中へ影をかくした。
あれよと、芙蓉は、老僧を慕(した)って追いすがったが、とたんに、塔の口もとの扉は内から閉じられていた。

「和上さま。和上さま!」
芙蓉は慈父を失ったように、扉をたたいて泣いていたが、その時、高い塔の頂(いただき)で、再び老僧の声がした。
「青年。わしの指をご覧。わしの指さすほうをご覧。――ここの疎林から西北だよ。北斗星(ほくとせい)がかがやいておる。それを的(あて)にどこまでも逃げてゆくがよい。南も東も蓮池(はすいけ)の畔(ほとり)も、寺の近くにも、賊兵の影が道をふさいでいる。逃げる道は、西北しかない。それも今のうちじゃ。はやく白馬に鞭(むち)打たんか」

「はいっ」
答えながら仰ぐと、老僧の影は、塔上の石欄(せきらん)に立って、一方を指さしているのだった。

「佳人(かじん)。はやくおのりなさい。泣いているところではない」
劉備は、彼女の細腰(さいよう)を抱き上げて、白馬の鞍にすがらせた。
芙蓉の体はいと軽かった。柔軟で高貴な薫(かお)りがあった。そして彼女の手は、劉備の肩にまとい、劉の頬は、彼女の黒髪にふれた。
劉備も木石ではない。かつて知らない動悸(ときめき)に、血が熱くなった。けれどそれは、地上から鞍の上まで、彼女の身を移すわずかな間でしかなかった。

「ご免」といいながら、劉備ものって一つ鞍へまたがった。そして片手に彼女をささえ、片手に白馬の手綱をとって、老僧の指さした方角へ馬首を向けた。

塔上の老僧は、それを見おろすと、わが事おわれり――と思ったか、突然、歓喜の声をあげて、
「見よ、見よ。凶雲(きょううん)没(ぼっ)して、明星(みょうじょう)出づ。白馬(はくば)翔(か)けて、黄塵(こうじん)滅(めっ)す。――ここ数年を出でないうちじゃろう。青年よ、はや行け。おさらば」

云い終ると、みずから舌を噛んで、塔上の石欄から百尺下の大地へ、身を躍らして、五体の骨を自分でくだいてしまった。

変更箇所等

如(し)く -- ごとく。~のように。
碧落(へきらく) -- 遥か遠く。大空。
倦んだ(うんだ) -- 待ち望んだ。飽きる。
黍(きび) -- キビ<植物>
驢 -- ロバ
縊(くび)り -- ヒモなどで絞め殺す
沓 -- 靴
曲碌 -- 僧が用いる椅子
佩(は)いている -- 腰につけている
嬰児(あかご) -- 赤ん坊。幼い子。
蝟集(いしゅう) -- 一箇所に集まる。
ぬかずく -- 頭を下げて礼拝する。「額(ぬか)+突く(つく)」語源。
帷幕(いばく) -- 本陣。作戦司令部。その付近。
跋扈(ばっこ) -- 思うままのさばる。
朝綱(ちょうこう)を猥(みだ)りにする -- 朝廷を乱す。
ねめつける -- 睨み付ける
跫音 -- 足音

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